前回湖の事をイーラーム州。イラク国境にあるということもあり、イラン・イラク戦争で、街は壊滅的なダメージを受けた。終戦後30年以上経過した今もその傷跡から完全に抜け出すことは難しいようで、経済的指標では東南部諸州と並び、下位を争うという状況だ。そんなイーラームだが、そのバーザールに行った我々は、さながら映画から飛び出たスター扱いだった。東洋系の顔立ちがよほど珍しいのか(聞いたら近くに中国系の石油化学工場があるらしいが、街にはあまり来ないとのこと)、歩けば歩いただけ、写真をせがまれる。ゆっくり買い物、なんてできやしない。話しかけてくる人みながニコニコ写真をせがんでくるから、断りづらいのだ。
(魚屋の皆さん。勿論、手は魚でべたべた。撮影:筆者)
また、イラクとの距離は道路標識からも分かる。ahvazやdehloran、mehranといったイラン国内の町に並び、区別もなくイラクのkarbalaが書かれている(ただ、karbalaはシーア派最大の聖地で、隣国イラクに陰に陽に影響力を及ぼしたいイランの現政権があえて入れている部分もあると思うが)。日本から来た私は、陸でつながる国境には異国情緒を感じざるを得ない。これも戦争の傷跡なのか、住民レベルでの交流はあまり盛んではないようで、タクシーの運転手に聞いた話ではあるが、イラクから移住した人々は街の一地区に固まって、他とあまり交流せずにひっそりと暮らしているとのこと。
上の看板がある道を1時間ぐらい車で駆けると、sam城というサーサーン朝時代の遺跡が見えてくる。登りきるのに1日はかかるという切り立った渓谷を利用した要塞で、当時は難攻不落で知られたとのこと。説明も何もなく、タクシーから放り出された我々が途方に暮れかかっていると、たまたまそこに友人とピクニックに来ていたアリー君(21)が、それは朗々とおらが村の歴史を説明してくれた。小さいころ、父親とこの渓谷の上まで何度も登ったことがあるらしく、そこから見える、サーサーン朝時代の人々が見たであろう景色も、事細かに語ってくれた。どうやら星がきれいらしい。イーラーム生まれ、イーラーム育ちの彼は、自分の故郷にとても自信を持っているようだった。その姿が、とてもまぶしかった。彼のような地元っ子が、これからもイーラームを支えていくのだろう。
(sam城。1日ぐらい岩山を上がると、全体が見渡せるらしい。撮影:筆者)
(アリー君(21)。撮影:筆者)
はっきり言えば、イーラームには目を見張る巨大遺跡も、舌を打つ郷土料理も、目を見張るショッピングモールも、何にもない。でも、こうしてしばらく後に振り返ってみると、そこで出会った人々の顔が
結構はっきりと思い浮かんでくるのだ。
【ひとことペルシア語138】bezar bashe(ベザル バーシェ)
:bezar は、begozaridの口語形で、「~させる」という使役の意味を持つ。basheはbashadの口語形。「~である」という意味。「そのままにしておこう、let it be」という意味になる。velesh konも、日本語にすれば「そのままにしておこう」という訳になり、同じように思える。が、velesh konは、「誰かが何等かわめいているけど、どうしようか?」と聞かれた時に答えるというようなニュアンスで用いられる。「ほっとけ」に近いニュアンスを持つ。他方、bezar basheは、「なるようにしておこう」というニュアンスである。
【書物で知るイラン8】『バンダルの塔』 講談社文庫、高杉良著
:三井物産がてがけ、そして革命に散ったIJPCを負ったプロジェクト。後の人がみれば勿論、「あそこでああすれば...」という部分は多々あるのだろうが、それは結果論。
巨大プロジェクトの完成を夢見る男たちの様子が生き生きと描かれた労作。こんなプロジェクト、次にイランでできるのは何年後かなぁ...としてのペルシア語が結んだ文化圏を、歴史学の手法を用いてひも解く本書。内容は学術的に高度なものであるが、ペルシア語のタテ(歴史)とヨコ(地理)のつながりを感じられる素敵な本。
*なおこの記事は筆者の個人的な経験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織とは全く関係がありません。