最近BRT(専用レーンを走るバス)がなかなか来ない。来たところで、常に満員だ。押し合いへし合いを経てやっと乗車できる。両手に荷物を抱えていたり、息子を抱っこ紐で抱いていたりすると更に大変だ。かつて「3. テヘラン交通事情(1)BRTで」にてご紹介したとおり、このBRTテヘランの主要道路を24時間体制で走っていて、テヘラン市民の足として非常に重宝されている。エスファハーンやタブリーズなど他の大都市にもその波が広がっている。
テヘランには地下鉄も走っているが、様々な理由で街の中心部に線を通すことができなかったため、BRTは交通の大動脈といっていい。職場のナショナルスタッフも、通勤に利用している人が多い。そんなBRTが、最近とみに来なくなった。妻も同じようなことを言っていた。
水タバコ屋の常連の一人に、テヘラン市交通局BRT運行責任者がいる。彼に軽い気持ちで、最近BRTがなかなか来ないんだよね、と水を向けてみた。すると彼は口からふーっとタバコの煙を吹きだしてから、こう呟いた。
「エンジンやブレーキの部品交換が必要な車体が多いのに、部品が全く買えないんだ」
彼によれば、米国の制裁が復活すると決まって以降、諸外国がパーツの取引を停止してきているらしい。驚いたことに、欧州諸国はいうまでもなく、車体を購入した中国や隣国のイラク、トルコまでもが、アメリカを気にしてイランから距離を置こうとしているというのだ。結局、修理しつつ、休ませながら運行するしかないという。車両基地で眠っているバスも多いとのことだ。彼の悩みは深い。これからイランは夏に突入する。すると当然冷房が必要になるが、そうなると更にエンジンに負担がかかるから、故障の確率が格段に上がるのだ。またBRT乗車時はスイカのような電子マネーで決済することになっているが、各駅に備え付けられた2つの決済装置のうち、1つが壊れていることが非常に多いが、それも部品が入手できず、修理ができないためだという。
BRTがテヘランで導入されたのは、私が当地に留学していた2010年のことだ。当時は、その前年の大統領選挙後にその投票結果を巡りデモが発生し、当局が力でそれを抑えたという出来事が人々の記憶にまだ生々しく残っていた。そんな中街中の主要道路でBRTレーン設置の工事が実施されたために、「政府がこのBRT路線を作った本当の目的は、デモを抑える当局の車を素早く移動させるためだ」という噂も飛び交うほどだった。
だがその後9年で、BRTは街の足として深く根付いた。テヘラン市内の交通渋滞は相変わらずひどいが、BRTがなかったらと思うとぞっとする。
「部品さえ手に入れば、全ての車両をすぐに修理し、BRTを街中に駆け巡らせてやるさ」
彼のそんな言葉は、水タバコの煙に巻かれたー
【ひとことペルシア語144】qaaqaa(ガーガー)
:まんま、を意味する幼児語。
【書物で知るイラン14】『イラン現代史 従属と抵抗の100年』、吉村慎太郎著、有志舎
本書ではガージャール朝からアフマディーネジャード現政権までのイランの歴史を非常に分かりやすく知ることができる。外国人に一見フレンドリーな彼らの心の奥底に刻まれた、外国人に対する恐怖感などのマイナスな感情の出所の一端が、理解できる気がする。
*なおこの記事は筆者の個人的な経験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織とは全く関係がありません。
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