「あなたは何日向こうに滞在するの?」
満員の乗客をのせた飛行機が離陸した頃、隣に座ったマダムに声を掛けられた。飛行機の目的地は、スィースターン・バルーチスターン州の港町、チャーバハールだ。首都テヘランからは道路距離で約1,900キロ。インスタグラムなどのおかげで、この地域もイラン国内旅行のデスティネーションとしてにわかに脚光を浴びているようで、このマダムもツアーで4泊するらしい。周りを見渡せば他の乗客も大きなカメラを肩にかけたりサングラスを頭に乗せたりと、機内はなんだか海外旅行にいくかのようにわくわくしている雰囲気が漂っていた。2時間弱のフライトでチャーバハールに到着。
ホテルに到着して荷をほどき、早速街に繰り出すと、そこはもはや異国だった。そもそもイランは私にとっては異国なのでこの言い方は変だが、それが許されるぐらい、異国なのだ。
まずはこの2枚の写真を見て欲しい。
例えばイランの西北に位置するタブリーズでも街のみなさまからペルシア語が聞かれることは全くなく、聴覚的な異国情緒は楽しめる。他方服装は近代化が進んでいて、視覚的な異国情緒感は皆無だ。
チャーバハールが南アジアの文化圏からの影響を強く受けていることは、チャイハネ(喫茶店)でも感じられた。路地裏のチャイハネでは、おしゃべり好きなイランのみなさまの例にもれず(これはイラン文化圏の影響か?)、よもやま話に花を咲かせていたが、
(路地裏の一コマ。今日は休日。撮影:筆者)
私もそこに混ぜてもらい、「チャーイ(お茶)」と頼んだところ、ミルクティーが出てきた。鼻を近づけると、シナモンの香りがした。イラン国内の他の場所で同じ注文をすると、ストレートの紅茶が出てくる。他方ここでそれが飲みたければ、「チャーイェ スィヤーフ(ブラックティー)」と頼まねばならない。要は、チャーバハールではシナモンミルクティーが無標のティーなのだ。インドやパキスタンに行ったことがないが、バングラデシュでは確か、シナモンティーを道端の屋台でよく飲んだ気がする。
『深夜特急』には、その著者沢木耕太郎氏が自分の旅のルートをお茶のスペルの変遷に重ね合わせて幾分感傷的に振り返る場面がある。香港からポルトガルへと至るその旅と比べたら、私のイラン国内全州制覇なんてちっぽけなものだ。しかしそれでも、このチャーイの意味内容が変化することを体感したことで、私はしばし感傷的な気分になった。辞書には載っていないし、私が自分でここまで来なければきっと知りえないことだったのだと。
(シナモンの薫り高い、ミルクティー。撮影:筆者)
深夜特急ごっこはさておいて。バーザールの中も、例えばモチのようにコロコロとした形の揚げて食べるナンが売られていたり、日本でも密かなブームだというバルーチデザインの布屋が忙しく手動ミシンを動かしていたりと、ここでしか見られないであろう光景がそこら中に転がっていた。多分電波少年的にアイマスクを付けられてここに連れてこられたら、イランであるということは判別不可能だと思う。
(ナン屋の店先。一つ一つの大きさが同じぐらいなのが、熟練の技を感じさせる。撮影:筆者)
(バルーチデザインの布屋。6人ぐらいの技師がミシンで作業をしていた。棚に置かれているのは木でできたデザインスタンプ。撮影:筆者)
私と同じ飛行機で来たと思われるテヘランからの観光客もちらほらられ、そのみなさまも私と同じように色々なものを物珍しそうに眺めたり写真を撮ったりしていた。
境界のあちら側での体験であった。
【ひとことペルシア語156】ab shode, refte be zamin (アーブ ショデ ラフテ ベ ザミン)
:"忽然と消えた"を、諺風にいう言い方。直訳は、水になって地面にしみ込んだ、となる。
【書物で知るイラン26】 『サルゴフリー 店は誰のものか』 岩崎葉子著、平凡社
: 日本におけるイラン経済研究の第一人者(である)と私が考える岩崎氏の最新作。この国における店の所有権に関する諸般の問題を、文献調査、インタビューを通じて分析する。学術書なのにスラスラ読めるのは、文章そのものの巧みさることながら、実際に足を運んだことがよくわかるためだと思われる。