秋だ。実に秋だ。昼間はまだ汗ばむくらいに気温が上がるものの、朝晩の冷え込みが、秋の訪れを教えてくれる。早い時間から息子と近くの公園を散策できるのが、この季節になって一番うれしいことだ。真夏はかなり暗くならないと散策すらできなかったから、昼下がりからでも外で遊べるのはとてもありがたいことだ。
イランのみなさまも私と同じような行動習性のようで、休日ともなれば公園の芝生がイランのみなさまで埋まってしまう。息子とその間を縫って歩きつつその様子を見ていると、なんとまあみなさま本当に休日らしい一日を過ごしていらっしゃる。
芝生の上に敷かれたゴザと毛布には、お菓子やサンドウィッチが入ったピクニックボックスと熱いお茶を注ぐための道具一式があるだけ。後はそこに座るか枕と一緒に寝転んで、家族や友人としゃべりながら時間を過ごす。子どもたちにはサッカーボールかバトミントンセットを渡しておけば、勝手に遊ぶという寸法だ。ただ芝生に座り、肩を寄せ合い時間を過ごす、ゴザさえ持ってきていない若いカップルもいる。また、キャノンのでっかいカメラを持ってきて、即席の撮影会をしている2人組も見かける。
私を含めた駐在日本人の間ではイランには余暇が少ないというのがよく話題になるが、イランのみなさまはその少なさを特に気にかけていないようだ。むしろ私が日本にいた頃と比べて、何と贅沢な休日の使い方をしているとさえ感じられる。かなり前から立てた計画に基づいて朝早くからせっせとどこかへ出かけ、結局身体を休めることができたかどうか分からない休日を過ごしてきたからだ。多分イランのみなさまの大多数は真反対のところにいて、確認したわけではないが「今日何する?」「特に何もないけど、ま、公園ぐらい」ぐらいの感じで家から出てきたのだろう。
そう考えながら芝生の上を歩く私の周辺を、息子がちょこちょこと私の視界に入っては消え入っては消えしている。時々、立派なすずかけの木の根っこにけつまずいたり、水たまりにはね入ったりしている。もとい子どもの事が好きなイランのみなさまである。特にやることがないとくれば、珍しい外国人の子どもが目の前に来れば、それを放っておかない訳がない。人見知りをする年になった息子だが、イランのみなさまに対しては比較的その敷居は低いとみえ、呼ばれるがままに愛想を振りまきながらそのゴザの方へ吸い寄せられることもよくある。
ハローだのニイハオだの、思い思いの外国語で話しかけられる息子の後を追って、私もそのゴザの方に行く。公園に来る時点で私も急ぎの用があるわけではないから、まぁ茶の一杯ぐらいはとなり、しばし雑談の輪に加わる。息子を横目で見れば、色々な人に次から次へと抱かれ、キスをされ、写真を撮られている。今夜もお風呂で息子の顔をしっかり洗わなければ。タイミングによっては、連続して別のグループに招待されることだってある。息子が正体不明のお菓子を握らされていないか、十分注意せねばならない。
息子と公園に出かけるたびにこのような風景と出会うから、ゴザが欲しくなってきたな、と妻の隣で呟いてみた。
何もしない休日、いいではないか。
【ひとことペルシア語162】ino bardaram?(これを片付けましょうか?)
:きれい好きな人が多いこのお国柄。レストランで食事をした後ゆっくりしゃべっていると、ウェイターがすぐに飛んできてこう聞いてくる。食べたのだから別にいいのだけど、机がきれいだと何となくすぐ帰らなければいけない気がしてしまう。だから小心者の私は、少しだけ皿に食事を残しておいて「いや、まだ食べます」と、ボソッという。
*この記事は個人の体験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織の見解とは全く関係がありません。
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