・日本人はめちゃくちゃ努力する。
・日本人はアメリカに原爆を落とされたのに、その後努力して今やパナソニックの電話がアメリカの大統領室に置かれている。
・トヨタ、三菱が好きだ。
・日本人は震災が起こっても列を崩さずに配給を待っている。
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おそらくこの国に来たことがある方は、このような言葉を一度は聞いたことがあると思う。
これらは、イランで私が日本人だといった瞬間、相手からマシンガンのように繰り出される「日本・日本人大好き」の理由の、ほんの一部である。日本産日の番組を取りたければ、民放のみなさまはそろってイランにいらっしゃれば、きっといい画が撮れるだろう。褒めに褒められるのだ。
もちろん、褒められること自体に悪い気はしない。ただこの後、中国や韓国などを貶めるような発言が続くことが多いのには、げんなりさせられてしまう。あんまりにも馬鹿かばかしく、書くのも憚られるような悪口が延々と続けられることもある(断っておくが私自身は嫌中・韓でも、好中・韓でもない)。要は、中国や韓国を貶め、彼/彼女らの中における相対的な日本の地位を上げようという作戦なのだ。
話がこのような方向に流れた瞬間、私はどう反応していいか分からなくなる。更に複雑な気持ちにもなってしまう。それは、彼/彼女らが中国・韓国の方と会った時に、どのような言葉をかけているのかと想像するからだ。おそらく、逆のことを言っているのではないかと。
そうすると、冒頭の誉め言葉も、元々薄っぺらいが、本心からではなく、単にこちらをいい気にさせるためだけに言っている、ぺらぺらの言葉なのではないかと考えざるを得ず、結局どう思ってるの、なってしまう。
日本人が想像する以上に会話が途切れることへ恐怖を感じているイランのみなさまだから、とにかく目の前にいる外国人と会話を続けなければいけないと考え(いや、考えるより先に、か)、また、お客である私たちをとりあえず喜ばせたいと考え、このような言葉を言っているだけというのが、自然理解なのかもしれない。
甘言には、要注意だ。
【ひとことペルシア語166】zabanam mu dar avard(ザバーナム ダル アーヴァルド)
:“舌から毛が生えてきたよ”という意味。何回も同じを注意して、それでもそれが直らなかったときに呟くひとこと。
【書物で知るイラン32】『隣りのイラン人』、岡田恵美子著、平凡社
:5人の在日イラン人の人生を丁寧に聞き出し、それを描いた本作。根底には、『忘れられた日本人』にあるような、取材対象者への敬意、温かいまなざしが流れていて、読むこちらもほっこりとさせられる。本作は20年以上前に出版されたが、イラン理解の第一歩として、まだまだ価値がある本だと思う。
*この記事は個人の体験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織の見解とは全く関係がありません。
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