「日本人ですか?」
遡ること9年前、今は跡形もないハンバーガー&ピザ&フライドチキンチェーン・アパッチのダーネシュジュー公園店で、私と留学生仲間のTに声を掛けてきたのが、最初の出会いだった。韓流ドラマがイランを席巻し、”おしん!”ではなく”チャングムの国から来たのか?”と声を掛けられることが多かった当時、このように声を掛けてくれると無性に嬉しくなったものである。
声の主は、日本のアニメが好きで、テヘラン大学が一般向けに開講している日本語講座に通うというFさん。私とTが話している外国語に聞き覚えがあり、声を掛けたのだという。
一時帰国中の先月、私は東京駅で、そのFさん、夫のKさん、そしてTを待っていた。一緒に夕食を食べる約束をしていたのだ。なぜテヘランのアパッチダーネシュジュー公園店(←もう潰れているが)ではなく日本の東京駅かといえば、2人が日本に移住したからだ。Fさんと同じく日本のアニメ好きが高じて日本語講座に通っていたKさんはIT技術者で、ネットの求人サイトに登録をしたところ、扱える技術が特殊だったため、日本の某企業に声を掛けられ、すぐ採用となったそうだ。
つながるセカイ、恐るべし。『街中で私が日本人だといえば「ビザをくれ」という若者たちよ、ビザは道端の日本人からもらえるのではなく取りにいくものなのだ』、と言うのには格好の事例でもある。
閑話休題。私は注文したトンカツ(←一時帰国中は毎日豚肉を食べることを目標にしている。また、FさんもKさんも豚肉の味に目覚めたそうだ)を待ちながら、目の前で起こっていることが本当に現実の事なのか、ちょっと信じられないでいた。
留学当時、私とTの「ペルシア語が上達したい」という意思と、Fさんの「日本人と知り合いたい」という意思がうまく合致したため、時間が合えばよく遊んでいた。もちろんFさんが外国人である私たちに気を使ってくれ、積極的に声を掛けてくれていたということは言うまでもないが。東京駅での夕食の後Fさんがインスタグラムにアップした写真には、山登りや誕生会、ゴーカートなど一緒に遊ぶ姿が映されていた。またこの駐在期間中にも、「14. カモとカスピ海:サーリー紀行」で紹介したように、母の実家にも招待してくれた。
その彼女が、今東京駅のレストラン街でトンカツを食べている。Fさんは日本が好きで、知り合った当時からお金をためたり、日本行きのツアーを眺めたり、また私たちの他にも日本人と大勢知り合っていたようだ。それでも日本好きが全員日本に来られる訳ではないということを考えると、運命論者ではない私でも、何か特別な力がはたらいたと言いたくなってしまう。
今はペルシア語を毎日使っているため、それを忘れるということはちょっと考えずらいが、駐在が終わって日本に帰ったとすると、急速に忘れてしまうことが容易に想像できる。でも大丈夫、私にはFさんとKさんという強い味方がいるのだ。興味があったとはいえ異国での暮らしは慣れないと思うから、今度は私が声を掛ける番である。
【ひとことペルシア語169】(タスヴィーイェ キャルダン)
:(主に金銭の貸し借りなどを)清算するという意味。
【書物で知るイラン31】『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート著、白水社
:アフガニスタンをヘラートからカーボル(カブール)まで、徒歩で横断したイギリス人元外交官の旅行記。過酷な気候、病気や疲労に襲われる自らの体調、相棒である犬の変調、道々で会う人々の生活の様子、アフガニスタンの峻厳な自然。どれに対してもあくまで等距離で描写しようという態度が貫かれている。その姿勢は、母国ではない地で働く私にとって非常に勉強させられるものがある。
残念なことを挙げれば、人名や地名のカナ表記のチェックが甘いということ、そして、ダリー語を(下手な)カタカナで表記し、そのあとに日本語訳をつけるという表現方法が用いられるということだ。後者に関しては、仮に著者がダリー語の文法的な誤りを犯し、それをあえてそのまま日本語に翻訳したということであれば、それは一つの技法かもしれない。ただし著者は相当程度ダリー語ができ、このような初歩的なミスはなされないとも考えられるため、直接日本語に訳してもよかったと思われる。
日本の外交上、地理区分上、イランは中東、アフガニスタンは中央アジアに分類されるため、ともすればそこに何らかの切れ目があると思われることもある。しかし実際はイランとアフガニスタンは、歴史的、言語的、文化的に切っても切れない関係にあり、イランを知るための太い補助線として、必ず知っておくべき地域だと考えて、この本を読んだ。
余談ではあるが、英国の外交官はなぜこんなにヴァイタリティ―にあふれているのだろうか。
*この記事は個人の体験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織の見解とは全く関係がありません。