目が、見える。
駐在をしている間に新興宗教に目覚めたわけではなく、実際に視力が回復したのだ。その訳はレーシック。ずっと受けたいと思っていたが、特に理由もなくここまで来ていたこの手術を、日本では(イランではそうでもないが、)年の瀬が迫る12月30日受けることができたのだ。
日本にレーシックの技術が入ったの比較的最近で、それ故まだ技術自体が発展途上で、また術後数年後の経過に関する蓄積が少ないため、この手術に対する芳しくない評価も日本ではよく耳にしていた。しかしイランでは相当程度普及しているようで、職場の同僚やドライバーなど、直接の知り合いでも数人経験者がおり、また「知り合いが受けた」を含めると、手術経験者は日本に比べるとかなり多いように感じる(←だからこそ、術後に「これをしない方がいい」、「あれをした方がいい」とおせっかいがうるさいのだが)。
日本が年末年始で比較的仕事に余裕がある今日この頃、先週水曜日に、先にこの手術を受けたドライバーに手術の予約を依頼した。実は元保健大臣が開業したイランでも屈指の眼科専門病院が、我が家から徒歩数分の所にあり、行こうと思えば明日にでも行く態勢は整っていたのだ。さてその日の晩ドライバーから電話があり、金曜日(2日後)の午前中に手術前の検診を取った、と言われた。心の準備が整わないままに病院へ向かうと、休日ということもあり待合室には多くの患者が順番を待っていた。
視力検査は日本でもおなじみのものだったが、その後の医師による手術の説明が、イランにいることをしみじみ実感させられるものだった。効率化のため、私を含めて6人が5畳ほどの医師の検査室に同時に呼ばれ、まず手術の概要、リスクなどの説明がなされた。その説明の途中、先生が「どこから来た?」と私に聞いてきた。私が「日本人だ」と答えると、「私は学会で日本に行ったことがありまして…」と、いつものやつが始まった。その後説明している間にも、ちょいちょい「日本語でこれを何というか?」などと私に話を聞いてきて、説明がなかなか進まない。他の患者の様子をちらりと見ると、あまり関心がない人もいるようだ。質問に答えているだけの私が、なぜか悪いことをしている気分にならされる、イランあるあるだ。その後一人ずつ眼球が手術に適したものかどうかを測る検査があったのだが、患者が検査台に乗っている間も、先生の日本への興味は失われない。「日本語には母音がないとどこかで聞いたが本当か?」、「大阪の桜はきれいだった」、「夜のサラームは”コンバンワ”であっているか」...早く終わらせてあげなさいよ、その検査。
そんなこんなで無事に手術が受けられるようになり、翌日その予約をするため、病院に向かった。相当儲かっている病院らしく、検査のための建物(8階建て)と手術の建物(同じく8階建て)が、別棟である。この日向かったのは後者の建物だったが、平日でも患者で混雑していた。予約ブースに向かうと、外国人患者を慣れた手つきで捌く受付がおり、スムーズに話が進んだ。聞けばイラク、湾岸諸国、欧州諸国、中国から、レーシック手術を受けるためだけにイランを訪れる人がいるとのこと。外国人はイラン人とは別の料金体系だそうだが、反面優先的に手術の予約を入れてもらえるらしく、「明後日(12月30日)はどうか?」というオファーおもらった。しかも、元保健大臣だそうだ。イラン人であるドライバーがその先生の予約をしようと思ったら8か月待ちと言われたことを考えると、光の速さだ。
迎えた手術当日、受付に向かうと「手術前にインタビューを受けないか?」と聞かれた。することもないのでそれを快諾すると、別室に連れていかれ、あれよあれよという間にピンマイクを渡され、インタビューが始まった。どうやら病院のインスタグラムに載せるらしい(ご興味のある方は→Noor.eye.hospital)。日本人は私が初めての患者らしく、日本の国旗は用意されていない。
さてインタビューの後すぐ手術室に呼ばれた。中に入ると術後のイラン人が数人おり、一様に頭を抱えている。痛くない手術、と聞いていたのに...と一瞬思ったが、もう仕方ない。隣に座っていた人に話しかけると、彼はバスラから来たイラク人、この手術のためだけの滞在だそうだ。
手術には3種類あり、どれも効果は同じであるが、術後に痛みが引く速度が異なり、最も安価な手術だと3週間ほど痛みが残ることもあるらしい。ビビりな私は一番高い手術を受けることにした。遅くとも翌日には痛みが消えるという触れ込みだ。手術が始まった。目の神経のみ麻痺されたため、他の間隔はもちろん残っている...とおもったら、1分しないうちに手術は終了。術後の痛みもほとんどなく、家を出てから2時間後には帰宅していた。
昨日術後の経過観察のために病院へ行き、視力検査を受けた。10数年ぶりに、全ての方向を答えられた。
恐らく今年は駐在が終了し、帰国になってしまう年になろう。それまで、この良く見えるようになった目で、できるだけ多くのものを見たいと思う。
【ひとことペルシア語169】bu-ye kabab karde.(ブーイェ キャバーブ キャルデ)
:ブーイェ キャバーブは、”キャバーブの香り”。直訳は”キャバーブの香りをかいだ”。目ざとく、自分の得になる話をかぎつけてやってくる様を表現した慣用句。
【書物で知るイラン32】
『アフガン諜報戦争(上)(下) ─ CIAの見えざる闘い ソ連侵攻から9.11前夜まで』スティーブ・コール著、白水社
:『倒壊する巨塔』、『決断の時』、『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言 』、『Growing Up Bin Laden Osama's Wife and Son Take Us Inside Their Secret World』についで、9.11理解(なぜ起こったのか、なぜ起こるのを止められなかったのか)のために手に取った本。
*この記事は個人の体験に基づいて記載されており、筆者の所属する組織の見解とは全く関係がありません。