下校時公園を通る中学生
27日(火)曇り、今にも降りそうな空模様で出るに出られない。こんな日もある。こんな日は読書に限る。「はだしのゲン」問題が収まりそうで収まらない。松江市が閲覧制限を撤回した後も批判や故・中沢啓二氏を特定思想に基づく漫画家に仕立てる策動も続く。
地元・新潟日報の25日付の社説や今朝の日報抄にも取り上げられている。大手新聞が堕落する中、沖縄の各紙を初め、東京新聞、中国新聞、福島民報や河北新報など地方紙の健闘が目立つ。我が新潟日報も原発や表現の自由に関してはいい線をいっていると思う。
社説は「子どもらの目を覆ってはならぬ」と題し、「子どもたちの目を覆い、現実から遠ざけることが教育の名に値するのだろうか」と疑問を呈し、「命と食の大切さをこの作品から学んだ」という読者の声を取り上げ、「子供らにはそれだけの理解力と吸収力がある」
こんな正装をした中学生も
さらに、文科相発言を批判的に紹介した後、「文科省が多用な意見について学ぶ機会を持つよう、積極的に指導しているという話は聞いたことがない。今回の判断や容認姿勢の背景に、万が一にも異論を封殺しようとする意図が隠されているとしたら、問題だ」と鋭く批判。全くその通り!
そして、最後に「教育現場の責任者が自らの判断、良心を脇に置き、上からの命令に従う社会が何を生むか。その怖さを私たちは知っているはずだ」と。流石、プロの文筆家だ、私が先日の投書で特に言いたかったことを言い尽くしている。私たちは今その岐路にいる。
上からの命令に従う社会とは戦時中の日本社会そのものであったし、占領地でも同様であった。占領地政策で何が一番許せないかと言えば、民族の誇りを奪う文化政策ではないか。それも分断政策によって。68年経った今、マレー人が私たち日本人に向ける眼はとても暖かく、好意的に見える。
思い思いの格好で
それには理由がある。日本はこの地を占領した時、徹底した民族分断政策をやった。軍部は「マレー人のマラヤ」を唱導し、マレー人を警察官や役人に採用、モスリムの安息日・金曜礼拝を他民族にも強制した。キリスト教会には儀式は許したが説教は認めなかった。
そればかりではない。日本から木材や玉砂利を運ばせ、宮大工まで動員して「昭南神社」(占領と同時にシンガポールを昭南島と名前を変え、昭南市とした=これこそ解放軍を自ら否定した証拠である)を建立し、モスリム、キリスト教、ヒンズー教徒に参拝を強制した。
神社参拝だけではない。次号で紹介する学校教育は勿論、刑務所内の捕虜に対してさえ、朝の君が代斉唱、日の丸掲揚、宮城遥拝(皇居の方向に向かっての最敬礼)まで強要したのである。唯一絶対神を信じる異教徒に対するこの強制は虐待以外の何物でもなかった。
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