切り崩される山
28日(水)テニスが終わって、2時頃から雨が降って、2時間余りも降り続いている。珍しい。この国は完全なバブル期ではないか。キャメロンの一つの山が切り崩され、マンションやショッピングセンターまで出来るという。ここには似合わないと思うのだが。
日本人が当てにされているわけではなく、この国の金持ち層が別荘や貸別荘を投機用に開発を進めているのではないかとの噂が飛び交っている。我々のような、日本の年金で優雅にという時代は終わりを告げるのではないか。大家さんはどう見ているか、後日聞いてみたい。キャメロンの治安はどうかとよく聞かれることがある。
先日、大使館よりキャメロン会を通して、初めて注意情報が届いた。被害者はここに向かおうとしていた日本人4人がLcc国際空港からバスに乗り、下車したバス停でキャメロン行きの偽切符を45RMで買わされたという被害である。経験者は30~35RMの相場を知っているが、恐らく初めての来訪者だったのであろう。
ドリアンと巨大筍
ここで暮らしている間に、被害情報は一度も聞いていない。気が付いてみれば、玄関までの3か所の施錠のうち、真ん中のドアの施錠は今はしていない。一人であちこち歩いてもいるが、怖い思いをしたことなどない。逆に、見知らぬ人との挨拶は日本以上の回数である。
日本は私が生まれた43年、アジア各国の傀儡政権を東京に集め、「自主独立」「人種差別撤廃」をうたった「大東亜共同宣言」を採択した。しかし、シンガポールで実際に行われた教育政策はこの宣言とは裏腹に徹底した皇民化教育と民族差別教育であった。
占領後、学校は全て接収され兵舎となった。女学校の一部は改装されて、「玉川」「新喜楽」などの日本料亭となり、本国から芸者を呼び寄せては日夜のどんちゃん騒ぎを繰り広げた。軍政下の教育を担当したのは民生部教育課である。学校再開は占領2か月後である。
表示はあるが横断歩道なし
それも予定した80校中、わずか15校に過ぎない。知識人は抗日派とみなされ、中国人教師は「華僑粛清の対象」ヨーロッパ人教師はすべて捕虜となったために授業再開が出来なかったのだ。中国系の学校が再開されたのは占領の4か月後の6月である。学校名を全て町名に改称した。
例えば、昭南市立武吉班譲馬来初等学校(ブキパンジャンマレー初等学校)のように。中学校は廃止され、代わって技術、海洋、貿易、漁業、電気通信、農業関係の学校が設立された。白人からの解放をうたい、大東亜共栄圏を建設するという実態がこのざまである。
授業の内容は次号に譲るが、学校ばかりか道路名も[日本通]とか第25軍の占領軍司令官だった山下奉文の名前をとり、「山下通り」までつくった。日本の敗戦とともに真っ先に抹消されたのはこれらの道路名になるのだが・・。このシリーズは長くなりそうである。ご容赦願いたい。この地から徹底して安倍政権の歴史認識の誤りを告発したい。
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