今日の昼食
30日(金)快晴。今午後4時。午前中は快晴だったのに、土砂降りの雨。近くに川があるわけでなし、崩れてきそうな山もない。地震はないし本当に災害の心配のいらないところである。今朝から人の動きがあわただしいのは明日の独立記念日に関係するらしい。
シリア情勢が緊迫している。アメリカが単独でシリア爆撃をするのか。シリアが化学兵器を使ったことへの懲罰だというのだが、アメリカにそのような権限があるとの説明は難しい。いかに許しがたい北朝鮮やシリアでも他国が武力で攻撃することを正当化できまい。
やはり、その国の独立は国民が立ち上がって、独裁政権を倒すしか正当化できる理屈はないのではないか。国民が立ち上がり、それを支援する武器援助や義勇軍などは孫文の辛亥革命やスペイン人民戦線などの歴史に学ぶことができるが、直接攻撃は許されない。
確かに国旗が目立つ
安倍のように「侵略の定義はまだ定まっていない」などと、時代錯誤な考え方は論外だが、どこの国からも支援要請などなかった対朝鮮、中国、東南アジア諸国への明白な侵略を侵略と言わずになんとしよう。ここマレー半島はまさに被侵略の歴史が繰り返された。
調べてみると、マレー半島が元々ムスリム国家だったわけではない。その前に中国、タイ、インドの影響があったわけだが、最初のムスリム国家は1136年のクダ・スルタン国で他国からの侵略はやはりポルトガルによる1511年のマラッカ王国支配に始まる。
16世紀はスペイン・ポルトガルの世紀で、メキシコを初め中南米も植民地支配下に入る。日本への1543年の鉄砲伝来も、1549年のザビエルによるキリスト教伝来もこのマラッカから日本へと向かったのである。マラッカにはポルトガルの要塞もザビエルの墓もある。
これも関係ありそう
130年も続いたポルトガルのマラッカ支配の後にやってきたのは新興国オランダで、84年間ポルトガルにとって代わった。その間に、イギリスも触手を伸ばし、1786年にイギリス東インド会社がスルタンからペナン島を賃貸、その後植民地化してしまうことになる。
1874年、マレー半島は英領マラヤとなり、中国人やインド人の移民政策がスタートする。その67年後に日本がイギリスを追い出し、3年8か月の植民地支配をしたという訳である。ここにいる60代の一部日本人がその事実すら知らないという、情けない実情がある。
日本の敗戦後、イギリスは利権を求めて再び戻ってくる。それに対し9州のスルタン、中国人もインド人も初代首相ラーマンの下に結束し、対英交渉によって1957年8月31日、独立を勝ち取ったのである。毎年の明日KLではムルデカ(独立)万歳が叫ばれる。明日のキャメロンはどんな様子になるか。
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