オクラとキスの天ぷら
2日(月)快晴。テニスはまだ12~3人は集まる。今日はシンガポールで医者をやり、引退して当地で暮らしているという男性も参加。現地の人達の参加がもっと増えれば、もっといい交流の場になるのだが。昨日の日本語塾でも2,3の貴重な情報が得られた。
日本語を教えているOさんは元公務員で野菜や花の有機栽培の研究を続けてこられた方である。私がシンガポールで3年間滞在し、シンガポールでの日本軍の行動を調べて、本も出した話をし、日本占領時にリークアンユー元首相が殺されかけてここに逃げてきた話をした。
その話は知らないが、氏に関する本は何冊かあるので、調べて、後日先生に教えるか、本を差し上げますという。その際、実はと言いながら表情を曇らせ、私の義兄もタイピン(日本占領前のペラ州の州都だった)で日本軍に連れて行かれ、帰ってきませんでした。
いつもの朝市
多分、殺されたのではないか・・と。Kさんの手前、それ以上の詳しい話はしなかったが、私が質問をしなければ、話すこともなかったであろうが、やはりマレーシア本土でもあったのである。軍政下の話を先に書くつもりだったが、虐殺事件の話を先にしたい。
日本の占領軍第25軍の総司令官だった山下奉文がペナン占領後「シンガポールの華僑は皆殺しだ。シンガポールだけじゃない、とにかくこの南洋から一人残らず追い出せ」(司令部付通訳の証言)と命令した。タイピンはそのペナンからKLに向かう途中、イポーの手前の街である。
占領直後、シンガポール市内はイギリス人居住区を中心にパニック状態だったという。そのパニックは日本軍が引き起こしたものである。この混乱の最中8名を捕え、首を切り落とし、見せしめのためにその首を市内4か所に曝した。Oさんはイポーでもあったと。
若いインド人カップルの店
イポーのさらし首の話は拙著にも日本軍の従軍記者・堺誠一郎氏の証言として紹介してある)これで現地の人の話で裏付けが取れたことになる。又私の教え子がタクシーに乗った時、ドライバーが走りながら「君たちは知ってるか。ここに日本軍は首を曝したのだよ」
マンションの守衛に同じ話を聞かされたという生徒もいた。ともかく華僑検証、虐殺の命令は山下―鈴木参謀長―河村警備司令官―大石正幸大佐―大西覚少佐と渡り、「検問実施令」には2月19日、20日、適当な広場に華僑を集合せしむ、21日より23日実施す。
対象、華僑義勇軍、共産党員、抗日分子、重慶献金者等。そして次のような布告が街角に張り出された・「華僑18歳以上50歳までの男子は来る2月21日正午までに左の地区に集結すべし。各自は飲料水及び食料を携行すべし」トラックに同じ内容の横断幕を貼り付け、市内を巡回し徹底を図った。
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