陸軍キャンプ入口
3日(火)晴れ午後曇り。今日はフリーの日で天気も快晴。気になっていた陸軍のキャンプに通ずる道路に入ってみたが、入り口の前で草取りのおばさんたちに止められた。その他気になっていた道路にも入ってみたが、みな行き止まりで豪勢な別荘か邸宅だった。
どこの国でも、お金持ちの心理は同じらしく、誰も近づけないような高台に家を建て、自家専用の道路を作る。きれいに刈られた芝は出稼ぎ労働者によるものか。災害とは無縁の生活。貧乏人は低い土地に追いやられ、食べ物さえもお金持ちは放射能や農薬と無縁に口に入れよう。
政府は今頃になって、汚染水の恒久対策などと言い出した。これもオリンピック決定を前にしたパフォーマンスだろうが、汚染水タンクの下請け製造会社の社長が「最初からこうなることは分かっていた、ステンレスではなく鋼鉄製で、溶接ではなくボルトで、みんなコストを切り下げよという東電の発注です」と。
こんな邸宅も
要するに、東電という会社はこの期に及んでも、人の命より会社の利益を優先させているということだ、政府もそれを知りながら、2年半も東電任せ、マスコミもこれを知りながら厳しく追及しない。みんなグルになっている。未だに警察・検察が捜査に入らない。他の企業ならとっくに入っていよう。電力会社の政治力の大きさを見せつける。
シンガポールやマレー半島で日本が何をしたかを告発し続けているが、果たしてどれほどの日本人がこの事実を知っているだろうかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。中国、韓国でやったことさえ知らない日本人が、東南アジアは遠い国にちがいない。この国に滞在してもこの国の占領の事実さえ知らない60代の男性がいるのだから。
指定された5か所に集結すべしの「布告」は20日の「昭南日報」(先日日本語の新聞と誤ってお伝えしたかもだが、これは華字紙である)に掲載され、これに違反反抗する者があれば、容赦なく「一人を殺してみんなの見せしめにする」(殺一敬百=山下談話)
別荘か邸宅か
こうして集められた者は15万人とも20万人とも言われる。(当時のシンガポールの人口は約77万人、うち中国人は56万人だった)連絡が不徹底で水や食料を持たないで集まった者も多かった。恐怖の「大検証」が始まるのだが、やったのはケンペイタイである。
この時以来、憲兵隊がケンペイタイと現地語化する。現在シンガポールの現地の歴史教科書にもこの言葉が使われている。戦犯裁判での河村参郎の証言によれば、怪しい人間を「摘出」する基準は①マレー在住5年未満の者、日中戦争に参加した者、②読み書きができる者、英語教育を6年以上受けた者、③学校教師、新聞記者、専門職、社会的地位のある者、④財産を5万ドル以上持っている者、⑤海南島出身者、⑥政府機関の職員、⑦抗日義勇軍及びそれに類する反日団体。炎天下、若いケンペイタイ員が下手な通訳を使い、これらの基準に従ってえり分ける。一か所平均5万人である。運命の分かれ道だった。
海外赴任時に必要な予防接種や健康診断が可能な全国のクリニックを紹介しております。