*なぜか写真と文章のアップがうまくいかなくなった。
マレー人家族
12日(木)久しぶりに青空が広がった。気持ちがいい。日本人の帰国が相次ぎ、朝粥参加者は8名。年間滞在者を除けば、私一人だった。帰途、単独行動で植物園へ。花や野菜を育てて販売もしている。参観者もかなり多い。売店でお土産のBOHテイーを買う。そして小中学校に立ち寄る。
数日前から見慣れぬ外国人の若者が群れを成して歩いている。この団地のアパートにもかなりいる。大家さんのママに聞いたら、ミャンマーからの「難民」だという。キリスト教会の慈善事業だとか、アメリカへの出国までのつなぎだとか、いろんな噂が流れている。
とうとうネット上に東京オリンピック決定に「喜んでいないのは非国民」との書き込みが拡散しているらしい。私は非国民、結構なことだ。一方で、やくみつる氏に続いて大矢映子氏までが批判的コメントを出している。こうでなくっちゃ、健全な社会とは言えない。
人種の区別がつかないときも
さて、シンガポールの話。陥落した時、2,3年分の十分な食料の備蓄があったが、日本軍はそのほとんどを接収し、軍用にあてた。日本軍は「バナナボート」と呼ばれる1セントから1000ドルまでの軍票を乱発した。ために、インフレを招き、米価は150倍に暴騰。
が、43年2月13日、大達茂雄市長は占領一周年記念式典で「英国は一貫して搾取政策を採用し、人民の生活はついに大変な困難を感じざるを得なかった。しかし、我が軍政当局はすでに全力を挙げて自給体制に力を突くし、他国に比べればずっと良いのである」(華字紙・昭南日報)と演説。
実際はコメの配給さえ、男子一ヶ月4.8キログラム、女子3.6キロ、子ども2.4キロで、それも翌年にはさらに切り詰められ、主食はジャガイモとタピオカになった。配給は日本国内同様、あらゆる物品に及び、理髪券や劇場の入場券まで。そしてついには疎開までやらざるを得なくなる。
これはインド人かな
精神支配の最たるものは昭南神社の建立と礼拝の強制である。マクリッチ貯水池の近くに材木、玉砂利、それに大工まで日本から運ばせ、五十嵐川に見立てた川まで掘って神社を建立し、キリスト教徒やイスラム教徒にまで参拝を強制した。敗戦時に爆破されたが・・。
神社の建立は日本の植民地支配の象徴のようなもので、旧満州に243社、樺太に128社、朝鮮82社、台湾68社を建立した。朝鮮の場合、ソウルに元締めとして朝鮮神社(後朝鮮神宮と改称)を建立。もっとも、朝鮮国内での本格調査は65年の日韓条約による国交回復以後のことで、鳥居などを持たない「神祠」が967社も確認されている。
参拝を強制するところが日本的というか、支配の自信のなさの表れではないか。敗戦にあたって証拠隠滅のために「神様」を爆破するあたりが、これまた日本的というべきか。今はどうなったか、私が離任する前に場所の確認に訪れた時は土台石だけが残っていた。
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