とんぼを発見
18日(水)梅雨どころか天気は安定し、昨日も今日も快晴で気温は28度まで上がる始末。テニスはたったの4人で疲れるほど動き回った。帰宅後も半袖、短パンのまま部屋の床を丹念に掃き、モップ掛け。荷物の整理に精を出した。日本も秋晴れのようで嬉しくなる。
今日は中国との15年戦争開始を告げた「満州事変」(9.18事件・柳条湖事件ともいう)82年前の1931年9月18日の今日である。奇しくも上越線開通の年で、この日を予想したかのように新潟が大陸侵略の最大の基地(39年)に仕立てられた年と言ってもよい。
1931年と言えば、宮沢賢治が「雨ニモマケズ」の詩を手帳に書き残したように東北が凶作に見舞われ、戦争など出来る情勢ではなかった。いやだからこそ戦争に打って出て、人口問題を大陸侵略によって解決しようという深謀遠慮が密かに練られていたのである。
立派なゲストハウスも
3年も前の1928年に同じ鉄道の数キロ地点で関東軍が張作霖爆殺事件を起こし、挑発に乗らなかった中国側をさらに口実を作り出すために引き起こした。9.18奉天(今の瀋陽)郊外で鉄道を爆破したが、挑発に乗らない相手方に一方的に攻め込んで戦争が開始された。
というのが、今日の日の簡単な事実経過で、板垣征四郎や石原莞爾らの主導の下、実行犯・花谷正らの名前まで確定しているが、「つくる会」や櫻井よしこ等はこの事実関係にも異議を挟み、やれコミンテルンの陰謀だの、蒋介石の挑発だと講演会で話しているのだ。
すでに教科書検定に合格し、出回っている「つくる会」とその分派が発行した教科書には彼らの主張に沿った記述になっている。シンガポールや東南アジアでの日本軍の行動など薄まるばかりであろう。80年代の教科書にどう記述されていたかを紹介しておきたい。
日傘をさして下校する中学生
大体満州事変から日本の敗戦まで13~20Pを費やす。しかも真珠湾攻撃から記述に入る。が、最近の若者は日本がアメリカと戦争したことさえ知らないという。いかに近現代史教育が軽視され、曖昧な記述になっているということだろう。対中戦争の本質が見えない。
東南アジア攻略の最大の拠点だったシンガポールを書かず、香港、ジャワ、フィリッピン等「東南アジア一帯」とか「東南アジアの諸地域」と記す。ただ、あの教科書問題が国際問題化した時、東京書籍だけが「シンガポール華僑虐殺事件」を初めて取り上げた。
この中で「日本軍に抵抗するとみなした6千人もの中国系住民の生命を奪ったのをはじめ」で検定を通過したが、執筆者は最初「2万人もの」と書き、「証拠は」と調査官に言われて妥協したのだが、この6千人を通過させたのは、軍の発表の数字だったからである。
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