佐潟と角田山
21日(月)快晴。白鳥が飛来する佐潟に車を止め、旧赤塚村の村内を歩き回った。赤塚神社には平安時代以来の神社とあった。それはともかく、格式のある村の佇まいを感じた。この村は佐潟と共に、その水を活用して生きてきた村だ。18日現在の白鳥は239羽とあった。
小泉元首相の「原発ゼロ発言」が波紋を広げている。焦っているのは自民党内の推進派だけではないメデイアの読売や産経も同じだ。小泉発言を批判する読売10月8日付社説は「原発ゼロを掲げる見識を疑う」というタイトルにも呆れたが、その内容はまるで自民党の機関紙のようだ。
「小泉氏の発言は、政府自民党の方針と異なる。政界を引退したとはいえ、看過できない」と書き、「安倍首相は安全性が確認された原発は再稼働させ、自民党も原発再稼働の推進を選挙公約に盛り込んだ」これが、日本一の発行部数を誇る読売新聞社の「見識」なのか。
赤塚神社
火力発電の燃料費高騰、温暖化への影響、自然エネルギーが天候に左右されるなどの言い古された御託を並べ、小泉氏が「放射性廃棄物の最終処分場がない」という核心的な指摘を原発ゼロの根拠に挙げたのに対し、「放射性廃棄物の処分法は技術的に決着している」と断定する強引さ。
さらに驚くのは「放射能は、時間を経ると減り、1000年で99.95%が消滅する」と書くのは何を根拠にしているのか。1000年と書く本人もその家族もいない。百歩譲って1000年が事実だとして、ならば、埋設にフィンランドを初め欧州が10万年、アメリカでは100万年安全な地層が必要だとの主張にどうこたえるのか。
小泉氏は論語の「過ちては改むるに憚ることなかれ」を引用して、自分は東日本大震災を見て、考えを変えた。と言っているのに、読売は「処分場の確保に道筋がつかないのは、首相だった小泉氏にも責任の一端があろう」と。それを言うなら、原発導入の張本人である読売新聞初代社主・正力松太郎等メデイアの責任はどうとるのだ。
赤塚の地主跡
大震災で変わったと言えば、右翼の漫画家・小林よしのりの変わりようも目を疑わせる。昔の「つくる会」の仲間だった渡部昇一や櫻井よしこ等が狂ったように原発推進を叫ぶ中、対米追随や美しい国土を汚す原発は許せないと、早々に袂を分かち「脱原発論」を著した。
私は今、小林よしのり著「女性天皇の時代」を読み進めているのだが、右翼が挙げて安倍内閣を持ち上げている中で、氏は原発のみならず、皇室問題でも安倍内閣の政策を批判している。「皇室典範改正案を独断で握り潰し、葬り去ってしまったのが小泉内閣の官房長官だった安倍晋三である」と。
天皇は万世一系の「男系」で継承されてきたと「安倍首相もそう言っているのだが、安倍首相が歴史を勉強しているはずがない。無知ゆえの誤解である。その間違いを今回は徹底的に指摘しておかねばならない」と。飼い犬に手をかまれるとはこのことである。次号から詳しく彼の言い分に耳を傾けてみよう。
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