雨の中のデモ集会
25日(金)今日は雨でテニスは中止だと思っていたが、呼び出しがあり1時間楽しめた。夜は雨の中、駅前デモに参加。原発廃炉を叫んだ。帰りの電車で若い女性たちが座席を荷物で占拠し、年寄り(私)が前に立っても荷物をどけない。座らせてと言ったら渋々・・。
全てではないだろうが、日本の若者のマナーは確実に低下している。しかも優先座席の話だ。NZ、タイ、ベトナム、マレーシアどこでも私が乗り込むと、人種に拘わらず、すぐに立ち上がり、プリーズと言ってくれる。これを正すべきなのは親でないのだろうか。
今まで24回にわたり、戦時中の日本軍がアジアで何をしてきたかを報告してきたが、一応この号で閉じたいと思う。最後は先日予告したマレー半島での従軍慰安婦の実態の一端を新馬華人抗日史料(荘恵泉、許雲樵著、蔡史君編)から友人の訳出によって紹介する。
キャメロンのKFC
シンガポールは日本の占領当時は当然マラヤ連邦の一部であった。そのシンガポールにおける「地獄生活回想録」という周某の回想録の中の海軍慰安所と題する一文。「海軍慰安所は蝗軍・海軍が獣欲をほしいままに暴発させ、女性を姦淫する場である」
「悪魔らは軍港外の13マイル半の西山園で、住民を追い出し鉄条網で囲み海軍慰安所とした。婦女たちは、全ての地方から強制的に拉致され。蝗軍(日本軍はイナゴと表記されていた)に監禁され、獣欲の対象となった。ファシストの残虐な魔手は、恥知らずにも荒淫を満たすための女性を勝利の慰安品とした」
次はクアラルンプール近辺の楊某による「慰安所将校倶楽部」の一文から。「マレー人を案内にして華僑の住居を襲った。(略)最も欲しがっていたのは姑娘だった。どんな辺鄙な村だろうと必ず経験したことがある。老人や子供が村のはずれで見張りをしていた」
60円のコーヒーと30円のケーキ
「『来たぞ!』と一声知らせるや、婦女たちは直ちに密林やつる草に走り込み、身を隠す、疲れて動けない者は一日中草藪に隠れていて、夜になってやっと家に帰る。獣兵が至る所で引き起こした獣行、姦淫は毎日見慣れてしまうと、珍しくもなくなる。
軍の将校は見かねて、港の商人たちに慰安所を用意するよう「訓話」をたれ、一軒のクラブを「皇軍慰労所」と変えたと。そして、番号を付けた慰安所が雨後の竹の子のように隆市の街ごとに開設されたと。慰安婦はこの土地の華人の女性が多かったが、軍とともに来た日本、台湾、朝鮮、安南(ベトナム)も少数だがいたと。料金についても、必ず事前に慰安所長から「買春券」を購入し、券一枚ごとに一個の護袋(コンドーム)が添付され、必ず着用を義務づけられたと。これでも安倍首相は強制などなかったと言い張るのか。
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