荒れ果てた飯舘村の水田
31日(木)10月もあっという間に過ぎ去った。昨日の福島行きのバスで支援活動をしている女性から「見捨てられた命があることを知っていますか?」というミニパンフを戴いた。読みながら思い出して改めて政府、東京電力のデタラメさに怒りを新たにした。
福島第一原発から北西へ14キロの地点に約30ヘクタールの面積を持つエム牧場・浪江農場、現在の希望の牧場・ふくしま」の話である。震災まで約300頭の和牛の繁殖、肥育を手掛けていた。牧場の代表・吉沢正巳さんの証言を基に作られたパンフレットである。
事故発生前、牛役3500頭、豚約3万頭、鶏約44万羽を飼育、事故後その過半数が餓死したとされ、生き残った家畜については、国の指示で地元自治体が殺処分を実施。11年の7月で豚や鶏はほぼ殺処分を終了。牛は約20軒の農家が被爆牛の飼育を続けていると。
荒れるに任せ・・
その経過を吉沢さんが語る。メルトダウンの情報は町長のところにさえ国、県、東電からもなかった。牧場への立ち入りを警官から阻止されたが、目を盗んで侵入し、牛に水や餌をやり続けた。廃車からガソリンを抜き、軽ワゴンにスピーカーをつけて東京へ。
東電本社、農水省、保安院、首相官邸に乗り込んで抗議し、車で寝泊まりしながら街頭募金を募る。吉沢さんが出かける前にタンクに書いた「決死救命、団結」は遺言のつもりだったという。餓死を防ぐために牛舎の柵を放ち、僅かでも水や草で生き延びて欲しいと。
吉沢さんと仲間たちは3日に一度、相馬市のもやし工場から出る搾りかすをトラックで運び、置いたらすぐに戻らねばならない線量の高さだったという。4月22日に警戒区域となり、立ち入りが禁止された後も裏道を通ったり、検問をかいくぐって餌を運んだ。
土地をはがしても・・・
自分の牧場の牛だけではない。迷い牛や親が死んでしまった子牛も引き取った。「見捨てられないもんね」と。11年5月、政府は殺処分の通達を出す。しかし、吉沢さんたちはそれに同意せず、仲間やジャーナリストたちと議論を重ね、寿命を全うさせる道を探った。
「今ここに生き残っている牛たちは福島原発事故の生き証人である。その被爆実態の調査・研究を通して、今後の放射能災害予防に役立てられる貴重な科学的データを集積することができる」と考え、大学の獣医学チームと協力「希望の牧場・ふくしま」が誕生した。
昨年5月東電に出した何天下の要望に対する回答は「牛が生きていようが死んでいようが金を払ったんだから文句を言うな」といった内容。それでも吉沢さん等は「深い絶望の先に希望の光が見えるかもしれない」と20年と言われる牛の寿命を全うさせたい」と。
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