修身の教科書
7日(木)雨。文科省の道徳教育の充実策を検討している「有識者会議」(座長・鳥居氏ほか17名)が「道徳の時間」を教科に格上げし、検定教科書を使うべきだとする提言をまとめたという。権力の教育への介入がここまで来たかという思いである。私の血が騒ぐ。
戦後文部省告示で単なる教育の指針とされていた学習指導要領は1951年の社会科への介入に始まり、教育内容への介入の根拠として利用され続けてきた。自民党は教科書検定の強化、広域採択制度の導入、一時は社会科と道徳の融合まで打ち出した時期があった。
社会批判に繋がる社会科教育への攻撃は凄まじかった。道徳を教科にし、教科書も使わせるということは、ゆくゆくはテストを実施し、評価もするということだろう。どんな徳目を設定する気かわからないが、愛国心や郷土愛などをどうやって評価し点数化するのか。
紅葉と初冬の山並み
彼らの最終的狙いは戦前の修身の復活だろうが、私の手元に50年も前に廃品回収で入手した1927年文部省発行の「尋常小学修身書巻二」がある。その内容を見てみよう。全文カタカナで「カウカウ(孝行)」「シヤウヂキ(正直)」など26項目が並んでいる。
その他、兄弟仲良くせよ、約束を守れなど誰も異議のない徳目が挙げられているが、最終的に言いたいのは「規則に従え」「天皇陛下」「忠義」である。安倍晋三も櫻井よしこも戦前の修身教育は素晴らしかった例として前者は挙げるが、後者は決して言わない。
忠義の項は日露戦争、旅順の戦いで戦死した広瀬武夫中佐を取り上げ、「チュウサ ハ タイハウ ノ タマ ニ アタッテ リッパナ センシ ヲ トゲマシタ」教育勅語同様、「父母に孝行、夫婦相和し」は建前で、最後は天皇のために死の覚悟を求めたのだ。
槍には積雪はほぼないと
安倍政権はまさか道徳の教科化で、そこまで求めまいが、歴史に学べば、修身の時数を12倍にも増やした1881年(明治14年)の同じ年に導入された「教員品行検定規則」によって、教師の反体制的言動・思想が規制の対象としたばかりか、修身を上に置き、他教科への干渉もやった。そこまで行き着くことは目に見えている。
まさかと思う読者もあるかもと思うが、事実である。そもそも櫻井等が称える戦前の修身は日本の伝統的な道徳教育でもなんでもなく、天皇の侍講であった元田永浮(儒学者)が起草し、明治天皇の聖旨として出された「教学聖旨」以後の話であって、事実に反する。
江戸時代から明治維新直後の市民道徳は中国の四書五経や論語に基づく人の道を説くものだった。それこそ日本の伝統で天皇とは何の関係もなかった。その証拠に江戸幕府は各藩の教育に何の干渉も介入もしていない。ましてや親子、夫婦,兄弟関係等に口出しをすることなどなかった。
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