キャメロンのテニスコート
8日(金)曇。テニスが出来た。Wikipediaによれば、「修身」の語は四書五経の中にあり、明治期に英語のmoral scienceを福沢諭吉らが修身論と翻訳したのが始まりだという。そもそも明治政府は教育の中心を国学、漢学(儒学)、洋学に置くか争いがあったという。
結局、実学性に富んだ洋学を主体とすることになった。1874年に「学制」が制定され、日本における近代学校制度がスタートするが、起草委員がほとんど洋学者だったと。それに対して国学者や漢学者から欧米偏重の批判が絶えなかったことは大河ドラマでも覗える。
学制の中では道徳教育は「修身科」が担うことになったものの、全授業時数の3%程度で、授業形態は教師の談義や口述で教科書は欧米の倫理書等の翻訳本だったらしい。その後、勢力を伸ばしたのが儒学者でその中心が「教学聖旨」の元田永浮だったという訳だ。
事実上日本人専用
元田は「仁義忠孝を中心とした伝統的な儒教的な道徳教育」を主張したが、これに対し、当初伊藤博文や福沢諭吉でさえ反対していたほどである。その後80年代に、道徳教育を巡って「徳育論争」が続くことになるが、天皇名の「教学聖旨」に逆らえず、定着していく。
1890年の「教育勅語」の制定によってこの論争は決着が図られる。そして、日清、日露、太平洋戦争と戦争を繰り返すたびに教育への管理統制が強まり、教科書の国定化、修身科の内容も国家に対する道徳の割合が最終的には25%まで増えていく。徳目は163にも及んだ。
その結果、国民は天皇に対する「忠義」で今の北朝鮮のようにマインドコントロールされ、あの無謀な戦争に無批判に仕立てられたのである。日本を占領したGHQによって、修身科は国史、地理と並んで軍国主義教育とみなされ、授業を停止する覚書が出され、修身科はなくなった。
日本より立派なゴミ収集車
政府自民党は50年の朝鮮戦争以後の逆コースの中で、社会科の解体と修身科の復活を一貫して目論んできた。2002年には教科書ともいうべき「心のノート」を7億3000万円もかけて全国の学校に配布した。2年目からでも3億円もかけて配布したが、ほとんど使われていない。
02年は私が退職する2年前のことで、私はこの国定教科書は紐で縛ったままロッカーに入れっぱなしだった。ほとんどの教師がそうするか、配布して使わなかった。初版本には「人間として生きていくうえでの大いなるプレゼント」などとあった。私は人生のプレゼントを国家からいただきたくはない、と思った。
民主党政権がこの無駄遣いを廃止したのに、安倍政権が今年から配布を再開した。おまけに教科に格上げするという。見てきたように、国が道徳教育の強化を言い出す時は戦争の足音が近づいていることに証である。政府は先ず自らのモラルや寄って立つ企業のモラルを正したらどうだ。
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