今日は、ちょっとした思い出を書かせてもらいます。
私の、故郷は関東
数年前から両親が弟と一緒に暮らす事になり、
私が20年以上住んだ実家もしばらく空家となり、とうとう12月に
売却され、購入者が古くなった家を取り壊し新たな住宅を建てる事になりました。
悲しいことですが、時の流れには逆らえません。
すばらしく便利で魅力的な場所ではありませんでしたが、
小学校の通学では、田んぼを横ぎり四季を感じ
色々な自然と向き合って自分も育つ事ができた特別な場所。
自分の部屋からは、春には心地よい風が遠くの川から流れ込んで気持ち良く昼寝ができた記憶があります。
ここ数年は、日本に帰国するたびに空家でも足を運んでいましたが、
いざ、空家でも実家に行くと
不思議と「ほっと」できる空間でした。
私は運良く、父の転勤も幼少期に終わり
物心がついたときには、関東にいました。
関西→関東と引っ越したのですが
関西に(大阪)いた時の記憶はほとんどありません。
そのため、第二の故郷?はどこか??
と今聞かれると
祖父母、親戚家族がいる
『愛媛県松山市』 だと思えるのです。
*今年の松山旅行での写真(松山駅前)
なぜ、突然?こんな事を書いているのかと言うと
昨日、アメリカでもTV ジャパンで
「坂の上の雲」を視聴する事ができました。
現在のドラマ舞台は、主に東京や中国、ロシアですが
秋山好古、秋山真之、正岡子規
の故郷、『松山』もちょくちょく出てきます。
彼らの話す、古い松山弁が
私の祖母を思い出させました。
やはり、子供の頃の記憶は忘れないのですね~。
私は、もちろん松山には住んだ事がありません。
母の故郷です
子供の頃は2、3年に一度、夏休みに松山へ行きました。
私には、楽しい思い出ばかりです。
祖父母は、松山の奥に曾祖父が病院の診療所又は療養所として使用していた、ちょっとした温泉の出る家を時々使用していました。
そこの敷地は子供にとっては広く、
周りは、木々で囲まれていて
早朝は鳩の鳴き声、昼間は蝉の声が響いていた場所でした。
古い日本家屋で、トイレは奥まった場所にあり「旧式=ぼっとん」で、、
トイレに行くのが、、怖かった記憶があります。。。
でも、子供にとってはとても広い~家で
走り回れるし自然もいっぱい!
夜には、蚊屋の中で従姉達と寝るのがとっても楽しかった記憶もあります。
台所も旧式だったので、母と親戚の伯母さん達の苦労が今は、、理解できますが、子供は『楽しい!』だけ!!
私が超!!お金持ちだったら、
そこの敷地を買い取って、古びた日本家屋を修理して改築!
旦那様と一緒に、外人などが訪れる、旅館にしたいですネ。。
それと祖父母の家は、松山市の都心にありました。
自分の家近くにはない、アーケード街!!
歩くだけでも、楽しかった記憶。
あるときは、従姉と一緒に歩いていると姉妹に間違えられたり
祖父が突然、
「時計を買って上げよう」と従姉と一緒にアーケード街の時計屋に連れて行ってくれました。
子供ながらに嬉しかったのですが、私が欲しかった時計はキャラクター物の目覚まし時計でも、祖父は
「それは、長く使えないから、こっちにしなさい」って言われて
大人びた置き時計を買ってくれました。
その時、私はがっかり、、、したのを覚えていますが
未だにその時計は、
我、実家で現役で、従姉の家でも現役です。
今になって祖父の気持ちがわかる。。
祖母の寝室は、私にとっては宝箱のようで
色々な物が置いてあって、とても楽しかった場所!
松山には道後温泉以外にも色々な場所に温泉があり、
みんなで公共温泉に行くのも楽しかったです。
松山=ちょっとした贅沢をさせてもらえる場所。
親戚の叔父、叔母からお小遣いをもらい
好きな物を、道後のアーケード街で買った思い出。
中学生になると、祖父母と遊ぶよりも
年齢の近い、従姉と遊ぶ方が楽しい。。。
私と年齢の近い女の子の従姉は1人しかいなかったため、
松山へ行くと、彼女と遊べる事がとっても楽しかったんです。
中学高学年の時に、1人で松山に行きました。
祖父母は色々と気を使ってくれて
ある日、私にレストランで予約し、大きな「舟盛り」を頼んでいてくれました。
その頃の私は、生魚は全然だめで、、
無理して食べようと思ったのですが、恐れながら、
「私、生魚はだめなの。。。」
と告白。。
祖父は、「せっかく舟盛り頼んだのに。。。好き嫌いは良くないから、ちょっとでも食べなさい」と言いました。
でも、祖母は
「こっちも聞きもせずに頼んだのが悪いのだから、無理しないで食べなくてもよいなもし。」って言ってくれました。
中学生ながら、悪い事をした、、って未だに記憶に残っています。
気を使って連れて行ってくれた、松山の海の近くの親戚?友人宅。
祖父母と私で3人で向かいましたが、そこに辿り着くまでには
断崖絶壁の険しい道を運転しなければ。。
80歳過ぎた、祖父の運転がすごく怖かった記憶が。。
祖母が助手席で、「もっと!!丁寧に運転を!」って祖父に話していた記憶。
辿り着いた家から、翌日の早朝3時過ぎ、祖父が私を起こし、釣り舟に連れて行ってくれる予定でした。
でも、、私は起きませんでした。。。
祖父はがっかりで。。。
今なら、がんばって着いて行くと思いますが、
思春期の私には、、それは無理でしたね。。
祖父母孝行ができる年齢になった時には、もう祖父母は他界してしまいました。残念でたまりません。。
でも、祖母は残してくれたものもあります。
祖母は器用な人でした。自分で華道の流派も作っていたほど。
これは、私が松山へ行くと、祖母が作っていた、細かなビーズで作った、パース
母のおかげで綺麗に保存されていました。
タンスの中に入れておくだけでは、もったいないので
シャドーボックスに、入れて飾る事にしました。
自分たちの寝室の入り口に飾っていますこれも、祖母が作っていたのを覚えています。
インコなどの鳥の羽(下に落ちたもの)を、ペットショップなどからもらい
絵を作りました。
両親が送ってくれた、額が丁度あったので、額にいれて飾っています。
本当に器用な祖母でした。
私にとっては、時々しか訪れない素敵な
『松山』だったので
良い思い出しかなく、第二の故郷と思えるのです。
今でも、親戚が住んでいて
私たちを手厚く迎えてくれます。
そして、松山の人達は温かい
関東にはない、人の温かさですね。
山もあり、海もあり!!
松山に住んでみたいですよ~
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