道路わきのバナナ
16日(月)曇り。朝は2度くらい、今午後3時で6度しかない。昨夜大河ドラマ「八重の桜」が終わった。このドラマだけは全部観た。海外でも見られるのは有難かった。脚本が山本なつみ氏で、「ゲゲゲの女房」で売り出した人だが、当然ながら女性の視点を感じた。
明治維新や明治の教育をどう描くのかに関心があった。会津の立場から見た明治維新は当然のことながら、薩長中心の政治には批判的にならざるを得ない。会津に同調した越後人から見ても共感できる場面が多かった。しかし、学問の分野では政治とは別の大きな流れがあった。
ここ新潟も新島襄の同志社より6年早く、1869年に新潟英学校が、次いで洋学を中心とする北越学館、新潟女学校が設立され、新島の紹介で内村鑑三や成瀬仁蔵が各学校に赴任してくる。東大などの役人養成の学校に対抗して、自由を重んじる私学が設立されていく。
鶏の足麺
昨夜の最後の場面は圧巻だった。八重が徳富蘇峰(同志社に学びながら、最後は国家主義に傾いて戦争を煽り続けた)に向かって、新聞を国家のために使うのが自分の使命だというのに対し、それは間違いだとし「未来を切り開くために使わねばなんねえよ」と。
徳富が自分を愛国者だと言い、それに従わない人々を非難したのに対しても「襄だって愛国者だった。襄は国民一人一人を愛する愛国者だった」と。安倍に繋がる伊藤博文や山縣有朋らの言う愛国は新島襄の考えた愛国とは真逆の愛国だ。安倍は昨夜のドラマを見ただろうか。
先日、石原環境相らが福島県と市町村に対し、低レベル核廃棄物の「中間貯蔵施設」の建設を受け入れるよう申し入れを行ったというニュースが流れた。条件として「30年後に圏外に撤去する」と。つまり、30年以内に「最終処分場」が出来ていると。何の保証もない。約束する安倍政権の誰も国会にすらいないだろうに。
フィッシュボールミー
佐藤福島県知事は「これから検討が開始されるスタート」だと。受け入れを決めれば又莫大な金が支払われることになるだろうが、佐藤知事は福島県内の第二を含めたすべての原発の廃炉を求めているのだから、これを機に核燃サイクルの断念を政府に迫るくらいの気概はないのだろうか。
小泉元首相の「原発即ゼロ」発言の影響は大きかったが、安倍政権は聞く耳を持たない。元首相の主張の根拠は核廃棄物の処分場がないという説得力のあるものなのだが、どうも一般の圧倒的な世論にならないのは、事実関係がよく知られていないのではと思えてきた。
改めてこの問題について、詳しくまとめておきたい。かく言う私も事故前まではほとんど知らなかった。放射能ゴミは原発を運転しなければ出ないゴミだ。そもそも捨て場のないゴミの排出を政府も電力会社も知りながら運転を始めた。「トイレなきマンション」と言われるゆえんである。
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