江戸初期創建の坂井神社
23日(月)昭和天皇の評価については、政治家もマスコミの大半も「一貫した平和主義者」であったというもので、多少、その責任に言及する論者であっても「軍部に振り回されたからだ」という。これらの論は全て歴史的事実に反する、歴史の歪曲でさえある。
これはいずれ、昭和天皇自身の発言をもって、反論したいと思うが、ちょっと考えてもらいたい。昭和天皇は60年以上にわたる在位中、首相が何度交替し、陸海空軍の将校がどれほど入れ替わろうとも、大元帥として、幾多の政策決定を裁可してきた事実は消えない。
とりわけ15年戦争中の内閣や軍部の誰よりも正確な情勢を知る立場にあり、事実、一つ一つの上奏に対し、自分の意見を述べ、裁可している。直接当人に問いたださなくても、内大臣や侍従長を通じて天皇自身の意向が伝わるようになっていた。天皇が黙った時は否だと、側近は判断した。
先日、新潟に講演に来られた元外交官で政治学者の浅井基文氏が「終戦の詔勅」を改めて読むよう、聴衆に訴えられた。プリントアウトしてじっくり読んだ。昭和天皇があの戦争に何の反省もしておらず、安倍晋三をはじめ右派の戦後の政治家に誤ったメッセージを残した。
終戦の詔勅とはいわゆる「玉音放送」と言われているもので8・15の正午に録音盤の放送が流れた内容である。「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」という言葉だけが、いかにも昭和天皇が断腸の思いでポツダム宣言を下しかを示すものとして語られてきた。
しかし、よく読んでみよう。口語訳で「先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない」自分の意思ではないと。
西川沿いの諏訪社
「ところが、交戦はすでに4年を経ても・・好転せず」4年というのは対英米戦のことでその前11年間の対中、対東南アジアとの戦いは頭にない。それどころか、「敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々を殺傷し」と対米非難が中心である。
原爆が「残虐な爆弾」であることは論をまたないが、自分の命令で行われた中国・重慶無差別空襲や南京虐殺、満州での731部隊による人体実験や化学兵器の使用(60数年後の今も撤去作業が続いている)は仮に天皇まで情報が上がっていなくても責任は免れない。
終戦の詔勅はさらに、戦争の継続は我が民族の滅亡を招くから受諾するというのはいいが「私は一体、どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したらよいというのか」謝罪の相手が被害国の国民や自国の国民ではなく代々の天皇の御霊なのだ。
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