キャメロンの鳥
25日(水)朝は晴れるのだが・・。昨日は小雪の舞う中、7人でテニス。みんな運動に飢えている。今日は卓球。政府の14年度予算案が閣議決定された。安倍バブル予算だ。新聞の見出しは「企業優遇、家計に冷たく」まったくその通り。国民が選んだ結果だ。
予算案の突出は公共事業費と防衛費だ。防衛費は4兆8848億円。安倍内閣は戦争への道をまっしぐら。原発輸出に武器供与、倫理観の全くない金権内閣。さらには、動く見込みのないもんじゅは廃炉どころか25億円増の199億円。何が何でも核燃サイクルを推し進めるとの宣言に等しい。
戦後の無責任体制は「終戦の詔勅」に始まった。太平洋戦争の目的は「日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思い」からだったといい、結果についても「日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない」
滅多に見ないカラス
敗戦を迎えてもなお、反省なく、アジア解放の正義の戦いだったと言っている。最後に「堪えがたき・・を乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思う」731部隊長・石井四郎、満蒙義勇軍創設者・加藤完治も戦犯を免れ、この言葉を頼りに戦後を生き抜いた。
この口語訳は満州からの引揚者のものだが、上の訳に続けて昭和天皇が「私はここに国としての形を維持し得れば善良なるあなた方国民の真心を拠り所として常にあなた方国民と共に過ごすことができる」と訳しているが、原文は「国体を護持し得て」となっている。
つまり、天皇制が守られた(この時点では何の保証もなかったのだが)と。私の受け取り方とは全く逆でこの訳者は「最近この全文を読んで初めて、昭和天皇が心底いかに平和を希求していたかを知った。誰よりも心を痛めていた」この訳者と私のどちらかの読解力が間違っている。
バナナの花はこんな風に
こうしたマインドコントロールされた日本人の天皇神話を何回かにわたって天皇自身の発言を紹介しながら、天皇が決して軍部や政府の操り人形ではなかった事実を示したい。満州事変前後から。1828年の張作霖爆殺事件も天皇は関東軍の謀略であると見抜いていたことを示す発言から。
軍部の暴走を恐れた天皇は当時の田中義一首相に関係者の厳重処分を命じた。ところが田中首相は軍の反対で軍法会議すら開けなかった。その報告を聞いた天皇はみるみる顔色を変え「この前の言葉と矛盾するではないか」「説明は聞く必要はない」と奥へ引っ込んだという。
田中内閣はこの天皇の怒りに触れて、2か月後に総辞職する。これは田中内閣で海軍大臣を務めた岡田啓介回顧録に出てくる話である。昭和天皇は現地の作戦の細部にまで、質問を繰り返し、納得するまで何回でも首相や参謀長を呼びつけ、めくら判は押さなかった。
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