我が家の大晦日
2014年1月1日(水)曇時折雪がちらつく。あけましておめでとうございます。昨夜は大阪の息子家族を除き、近くに住む娘家族、それに声をかけたスリランカの留学生Rさんが同じ留学生の2人の男性留学生を連れて我が家に来て大賑わいだった。K君はスリランカの歌を披露、J君は見事な手拍子。
お返しに家内が歌い、どじょうすくいまで披露。孫はAKB48の踊りを伝授。それにしても彼らの音楽的センスの良さには驚愕する。スリランカのお正月は4月なので、西暦の大晦日は何もしないとのこと。刺身や生寿司を除き、新潟ののっぺや切干、お稲荷も美味しいと食べてくれた。
″一年の計は元旦にあり”というけれど、古希を過ぎ、残りの人生もそんなに長いわけではないと思うと、もう先のことを考えるより、一日一日を大事に生きようと思う。それにしても、もの心がついて以来、常に社会と関わって生きてきたから、今後もそれは変わらない。今年も原発とアジアにこだわって生きる。
スリランカの踊りを披露
アジアの中の日本人を意識し、1981年にシンガポールに赴任して以来、アジアの人々と関わって生きてきたことも私のライフスタイルとなったし、元一社会科教師として、何か社会に貢献できることはないかと考え続けてもきた。退職後のブログもその一つだった。
このブログを書き始めたのは、およそ7年前、メコン基金というNGO団体主催のタイ東北部を訪ねるスタデーツアーに家内と参加したことが契機だった。机やノートすら満足にない貧しい学校の実情を見学し、両親もいない(出稼ぎで)子供たちの様子を伝えたかった。
そのメコン基金の会員になり、今も里子を一人抱えているが、些細な支援活動である。この団体も来年の3月末で30年近い活動に終止符を打つことになっている。会員の高齢化と会員の減少、そしてなによりも、タイが豊かになり、所期の目的を達したとの判断による。
AKB48を教える孫」
その間、タイとラオスに学校を建設し、最大時400人の子供たちに奨学金を渡し続けてきた。初代の代表も亡くなり、今の代表も高齢になられたことも大きいという。こうした団体が日本にどれほどあるかわからないが、円安はこうした活動にも打撃を与えている。
今年も原発と東北の被災地に関心を持ちながら、原発ゼロの日まで、その危険性を告発し続けようと思う。昨日から地元新潟日報は「再考・原子力、新潟からの告発」と題する連載を始めた。初回はここから60キロほどの関川村が「放射性廃棄物地層処分」候補地に?!
大震災直前の話らしいが、原子力発電環境整備機構(NUMO)が関川村の有志に札束をちらつかせながら勉強会の設立を働きかけていたというスクープである。空からの地質調査で候補地にしたらしいが、原発事故後、中断を申し入れてきたと。あくまでも中断である。今後共監視が必要である。
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