街を掃除する中学生
9日(木)雨。テニス仲間の一人Fさんの訃報が届いた。悲しい。FさんとはI中時代苦楽を共にした美術教師だった。私と違い、穏やかで、ユーモアの効く方だった。退職後はテニスと畑仕事、僻地の田植えボランテイアなどに参加され、昨年の夏まではお元気だった。
何回目かになるヘルニアの手術のために入院された際、肺がんが発見された。それでも本人は10月からテニスに行くからと明るく語っていたのに・・。私の8歳ほど先輩だが、人の命は儚い。今の健康に感謝しつつ、私もエンデングノートの準備も必要だと思った。Fさんの冥福を心から祈りたい。
死者に対する追悼は静かに、心を込めて行うものだ。ところが、安倍首相の靖国参拝は波紋を広げる一方で、外電を読む中で、今月7日にワシントン在住の日本人・辰巳由紀氏の「靖国参拝を米国が容認できない理由」と題する論考がネット上に載っているのを見つけた。
毎年行われていると
アメリカ大使館の「失望」表明に日本では楽観的に捉えられているようだが、氏は違和感を感じると。首相が言っているように「丁寧に説明すればわかってもらえる」程度の問題ではないというのだ。今後取り扱いが難しい問題になる可能性が高いという指摘がなされている。
アメリカ政府関係者や研究者との話として、「戦争の犠牲者に対する日本人指導者による敬意の表し方」としての「靖国神社参拝」はどうしても理解してもらえないと。ちょっと日本に詳しい人になると、「天皇陛下が参拝しないところに首相が参拝にこだわるのはなぜか」と聞いてくる。
安倍らは靖国参拝の正当性をアーリントン国立墓地への大統領参拝を引き合いに出して靖国参拝がなぜ悪いと主張するが、アメリカ人には受け入れがたい。アーリントン国立墓地は宗教色もなく、戦争の正当性を主張するような資料館もない。「アーリントンで会おう」などと言って出征する兵士もいないと。
高校生も
国立墓地の存在が軍人の精神的支柱になってはいないという意味で、靖国と米国立墓地は似て非なるものなのだと。ちなみに、私はNZや東南アジアの国々の国立墓地もほとんど訪ねているが、事情は同じで、お墓に階級名なども刻まれていない。日本人は死んでも階級にこだわる。名誉の戦死だと思いたいということか。日本の靖国神社がいかに異様な墓地であるかがよくわかる。
要は「米国では、靖国神社とはA級戦犯の合祀や、敷地内の資料館「就遊館」(これまた異様な雰囲気に包まれている=私)の展示を含め、戦前の日本の行為を正当化する象徴的な存在なのである。そこに首相が参拝することは、戦後のサンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の否定につながる」と考えるのだ。
安倍は昨年8月15日、千鳥が淵戦没者墓苑(35万8260柱)に恒例に従って参拝した。ニュースにさえならなかった。靖国は目と鼻の先にある。静かに手を合わせることもできた。靖国参拝にこだわるのはA級戦犯に手を合わせ、貴方がたの行動は正しかったと言いたいのではないか。
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