7日(金)快晴。当地に来て20日になるが、昨日初めて雨らしい雨になった。それも1時間ほどで上がった。強い風が吹くこともないし、地震や原発の恐怖におびえることも、洪水の心配も、治安の心配も全くない。見知らぬ人でも気軽に声を掛け合う別天地である。
外国人だからお気楽という面は確かにある。KLの中国系友人のリムさんから時々長文のメールが届く。私の英語力を過大評価して難しい問題について意見を求めてくるので、困ることもあるが、翻訳機能の力を借りながら読む。今日のメールはこの国の問題点だ。
マレーシアのマレー人優遇政策がいかにこの国の政策を歪めてきたか。それを是正すべく選挙で中国系やインド系の闘いが続いていること。物価高、犯罪の増加(出稼ぎ外国人労働者の問題)、そして国の教育問題が各州の選挙の最大の争点になっているという。
観光客はマレー人忠心 まだ返事は書いていないが、日本も同じだ。都知事選の脱原発派の一本化の夢は消えたようだ。選挙後に多くの人々が後悔することになろう。私などは物心ついてから、政治には裏切られっぱなしで、自分の思いが通ったことがないから、慣れているようなものだが・・・。
日本の政治史で言えば、保守対革新、保守は自民党を意味し、革新は社会党、共産党を意味した。革新陣営は戦後間もなくは共産党がリードしたが、アメリカ占領軍の共産党弾圧もあって社会党が自民党に対峙した。その後は保守も革新も分裂を繰り返した。
結局、戦前から戦後にかけて、政党名が一貫して変わらなかったのは共産党だけだった。共産党は今それを誇りとし、党名を変えようとしない。しかし、ソ連や中国共産党が世界に及ぼした負のイメージ、日本国内で刷り込まれた共産党に対するそれは大きかった。
オーナー住宅と工場 革新陣営、とりわけ社共の分裂はヒロシマ・ナガサキの原水爆禁止などの平和運動、労働運動、原発反対などあらゆる運動に及んだ。それが日本の民主政治の前進にどれほど障害になってきたかと思う。社共統一が美濃部都政や蜷川京都府政を生んだ頃が懐かしい。
日本の地方政治が「無所属」という日本独特の政党隠し政治を生んだのも、この政治史と関係があろう。例えば新潟の県議会、市町村議会の大半は実は自民党である。市民も又それを承知しながら、そのあいまいさを受け入れている。それが意識の変革を妨げている。
私は一時期、社会党を支持したことはあったが、人生の大半は共産党支持であった。しかし、今回の都知事選をみても、共産党がなぜ自ら「脱原発」での統一候補を模索しなかったのかが理解できない。今日本で何が国の命運を分けるかと言えば、原発しかない。
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