15日(土)快晴。こちらでもオリンピックは観ているが、日本選手の活躍を特に見せるわけではない。実況はホッケーやスキーが中心で、大半は録画で観ることになる。当地の人はあまり関心がないように見える。この国は過去のオリンピックでメダルはバトミントンの銀一つとか。
学校での体育の様子や市民のスポーツの様子を見ても、とてもスポーツが盛んだとは思われない。当地は涼しいのだから、学校のグランドで若者がサッカーに熱中する姿があってもよさそうだが、中学校を卒業すると、街に降りざるを得ない環境だからその姿はない。
KLのリムさんが送ってくれたマレーシアの原発情報の中に、この国のエネルギーの現状と、2021年以降の原発導入を目指し、09年から本格的な検討が行われていることを知った。先日報告したように、最初の意見集約を昨年13年としていた計画が福島事故でストップしたと。
見事なアジサイ
リムさんには日本では原発事故の影響で未だに14万人もの人々が故郷に帰れない状況を伝え、原発は選択すべきではないと書き送った。都知事選の結果にも拘わらず、全国各地で脱原発への取り組みがむしろ強化されつつあるらしい。私のように落胆ばかりではダメだということだ。
私の当地での日課は、朝起床すると、先ずブログの点検、それから友人、知人のブログを読む。すずきせいこさんのブログで、長年反原発で活動を続けておられる広瀬隆氏の最近の精力的な動きを知った。氏も都知事選で脱原発候補の統一に奔走したことも分かった。
その中で、広瀬氏が「敵」と言い切った小泉純一郎の脱原発は本物だとして、演説の一部を紹介している。「原発の安全神話、低コスト神話、クリーン神話を信じて疑わなかったのは大きな過ちだった」と。自分の過去の言動に過ちがあれば、それを認める勇気は大事だ。
サボテンの先端に花が
小泉は続けて「僕は自分の不明の責任を認め、過ちを認め、原発ゼロに向かって全力を尽くすために立ち上がった」だからと言って、彼がやった数々の悪政まで認めるわけではない。しかし、福島の惨状を目の前にして、考え方を変えない人々こそ非難されるべきではないか。
自分自身を振り返っても、数々の過ちを犯してきた。授業で北朝鮮を肯定的に教えた一時期があったこと、在日朝鮮人の北朝鮮帰還を人道的事業と認識して支持した過ち、江戸時代をあまりに暗くとらえ過ぎた過ち、生徒指導でも時々暴力を振るった過ち、全て生徒に土下座して、謝罪したい思いだ。
友人のブログで池上彰氏の著書から、小泉氏がカタカナ語の濫用に異議を挟み、首相時代に具体的な措置を執った事実、それに引き替え安倍晋三のカタカナ語の濫用の事実、これは事実認識を曖昧にする危険があるとの指摘はもっともだ。カタカナ語の濫用は軽薄そのものだ。友人、知人のブログに学ぶことが多い。感謝。
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