モスリムのお買いもの
20日(木)夜半からの雨は今も断続的に降り続いている。今までの安定した天気を思うとウソのよう。朝粥は当然中止。こんなことは初めて。昨日突然エアアジアからスリランカ行の帰国フライトの時間変更の通知があった。理由は「商業用の都合」とあった。
帰国の便が1時間早まっただけの変更で私たちには何の影響もないが、これが格安航空の怖い所かな。代替便の設定が2日間、その経費は不要、すべてキャンセルの場合は払い戻すとはあったが、現役のビジネスマンなどで一刻を争う人だっているはずで怖い。
煙突は鍋料理用
私のようにPCを持ち歩いている者はいいが、そうでない人にはどうやって連絡をするのかと考えたりもした。一応KLのリムさんに文書を転送し、私の判断でいいかどうかを確認した。こんなこともあるので、スリランカ行きにはPCを持参することにした。
香山リカ著「日本人は劣化したか」を一気に読み終えた。本も人を惹きつけるものがなくてはならない。「何事もきちんとしないと気が済まない」日本人の性格が学校教育に影を落としていることを書いたが、必ずしもマイナスばかりではないことは言うまでもない。
海外に出るとたちどころに目につく日本のモノづくりの質の高さは、間違いなくこの性格によるものだから、否定されるべきではない。私が言いたいのは、もの作りと人づくり(教育)を一緒にしていいのかということである。もの作りは同質の画一性が求められる。
日暮れのヒンズー寺院
戦後の日本の教育で評価すべきは同質で画一的な一定の学力を全ての子どもたちに保証してきたことである。しかし、60年代以降の文科省の政策は子どもの思考や教師の在り方まで画一化の方向に進んでいることが問題である。これは世界の流れに逆らい、国の将来を誤るものだ。
香山氏は日本人の劣化を「活字の劣化」「モラルの劣化」「若者の生きる力の劣化」「社会の劣化」「排除型社会での寛容の劣化」に分けて論じているが、同時にこれは日本だけの問題ではないこと、90年代に入ってのグローバリズム、新自由主義による世界の問題だとも。
私としては、日本人の横並び志向、自己主張ができない、出る杭を打つ、自主性や創造性に欠ける等、今後の国際社会に生きる人間を育成するうえで、決定的な欠点と思われる事柄を日本の学校教育に視点をあてて論じて欲しかった。学校教育が劣化しているのだ。
モラルの劣化として、携帯、自己中な親、街に溢れる家庭ごみ、救急車をタクシー代わりに使う親の例などのモラルの低下を保守派はすぐに戦後教育のせいにしたがるが、香山氏は「正当な権利」と「個人の身勝手」の区別がつけられない想像力の劣化ではないかと。
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