甘味やで
23日(日)快晴。今日の日本語教室もOさん一人だった。家内も一緒なので、話題が広がり、楽しくやれる。今回持参した様々な絵を見て日本語の文章を作ってもらい、それを私たちで修正しながら会話する。数の数え方一つでも、日本語は多彩で学習者には難しい。
通算1年もいても、街のどこに何があるか、わからないことも多い。特に夜はほとんど街に出ないからなおのこと。PUBも先日初めて発見した。今日も行きつけの酒屋の二階に甘味屋があることを見つけ、入ってみた。日本では食べられない甘味が豊富にあった。
「排除型社会」を生み出したのは新自由主義に基づく過度な競争社会であるとすれば、ヤングが指摘した「逸脱に対する寛容度の低下」「監視・管理の強化や厳罰化」も必然的な流れと言えるのではないか。日本の学校にはいち早くその傾向が表れていたと言ってよい。
甘味やの店内
石原慎太郎が都知事になったのは99年、小泉政権の成立が01年、まさしく日本の新自由主義の幕開けだったのだ。石原の超保守主義的な思考と相まって、教育改悪が進んだ。今の安倍政権のやり方と同じで、教育委員の任命権を利用して次々と委員を入れ替えた。
石原教育改革のゴールははっきりしていた。徹底した競争の導入と管理の強化だった。学校現場に中間管理職を増やし、上意下達の仕組みの下、物言わぬ教師づくりと、効率化を理由にした予算カット。今では職員会議での発言、挙手や採決を禁止するまでに至った。
教育現場に留まらず、私の大学時代の友人で都庁職員のT君によれば、一般職員にも階級制の導入で、昇任試験が導入され、職員は都民の方を向いて仕事をするのではなく、昇任のための試験勉強を机の下でやっている人が増えたと。競争導入の結果は当然こうなる。
甘味やの店内
その影響は新潟をはじめ、全国に及んだ。新潟にも副校長や主幹など、生徒に直接関わらない中間管理職が増え、職員会議は無言のまま流れるように上からの提案が決まっていくというし、生徒は「ウエブテスト」と称して県教委作成のテストが事実上強制されていると。
こうした流れは橋下大阪市長が石原路線を踏襲したために、親が自分の子どもの学力の程度を知りたいという素朴な欲求につけ込んで、学力テストの結果を市町村別、学校別に公表するのは当然だとの雰囲気を生み、全国に広がる気配である。その結果は見えている。
学力テストの予備テストをする、試験中に答えを示唆する、学力の低い生徒の成績を抜きとるなど、教師や学校は自分の成績を上げるためなら何でもやる。こうなることは60年代に実験済みであり、わかりきっているのに、そうせざるを得ないように追い込まれている。
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