バンダラナイケ空港に
9日(日)快晴。朝市で立派な大根やスイカを買う。魚はキス、今日はキスの天麩羅。NHKワールドは私たちが戻って以来、3年目になる震災の特集を毎日のように流している。3年に特別の意味があるわけではないが、忘れかけているあの日を振り返るのは悪くはない。
報道内容は復興はおろか復旧さえ進んでいないと。確かに千年に一度という大津波や巨大地震は避け難かったかもしれない。しかし、復旧、復興が進まないのは自然災害の規模の問題ではない。この地震大国で原発を選択したことが最大の原因であることは明らか。
津波と地震だけの被害なら、復旧はもっと早く進んでいたであろうことは間違いない。3年も経ってなお13万5千人もの人々が故郷に帰れないのは、原発事故、それも収束の見込みのない現状が復旧復興を遅らせている。自然災害は選択できないが原発は選択できる。
三輪タクシーが行く
原発事故直後は国民が「もう原発は御免だ、少なくとも日本には原発は無理なのだ」と考えるだろうし、これを機に「今までの経済成長や利便さを求めるだけの国の在り方を考え直そう」という議論が支配的になるだろうと予想した。ところが、現状はどうか。
考え方、生き方を変えた人々は確かにいる。だが、国民全体の動きとはならなかったばかりか、国民の安倍政権の選択によって、震災前と何ら変わらないばかりか、むしろ経済一辺倒、今さえよければいい、だから原発再稼働はやはり必要だという声が大きくなった。
復興計画や予算についても、日本の在り方自体を考え直すという選択がなされれば、原発ゼロを直ちに決断し、全ての政策を東北の復興を中心とした日本全体の産業政策、予算の配分が集中的に行われるべきだったのに、震災に便乗した利権漁りに加担する始末。
ドライブイン?で生ジュースと
そればかりか、東電という倫理無きデタラメ企業に賠償を徹底させることすらできない政治。帰還困難区域とか解除準備区域などという、いかにも将来帰還が可能になるかのような幻想を被災地に持たせ、3年経ったからとか解除するから賠償打ち切り?
まるで、当初からこのことを予想した線引きだったのではないかとさえ疑う。チェルノブイリに学べば、原発から30キロ圏内など、人が住めるはずはないのだ。しかも、許しがたいのは、自主避難者に対して、補助金や助成の対象から外すという冷酷な仕打ちをする。
マスコミや知識人と言われる人々が、この事態に対して手をこまねいているように見えることが何より腹立たしい。故人となった加藤周一氏は震災前にすでに日本の現状を「知的な退廃が起こっている」と指摘していた。原子力村を支え、安全神話の片棒を担いだマスコミへの批判ではなかったか。何もできない自分に無力感だけが残る。
安倍首相の記者会見の模様をいやいや見て、腹が立ってしようがなかった。一国のリーダーたる者が終始目を原稿に落とし、あらかじめ提出されていたであろう質問に、官僚が書いた作文を淡々と読むばかり。何の心も伝わってこない。こんなリーダーが世界のどこにいるのか。記者クラブと言う世界に例のない制度が、だめな首相を支えているのだ。