ルワンの妹とその彼氏 10日(月)快晴。我々がいない間、夕方には必ず雨が降ったというが、5日以降雨がない。我が家内が晴れ女だからか。我が故郷は依然として寒く、時々雪が混じるようだ。でも市内は積雪はなく、娘たちにとっては助かっているようだ。桜の季節に帰国する。
私には紅茶の知識はないが、紅茶誕生の秘話は教えたことがある。つまり、英国の東インド会社の船舶の中で発酵した茶葉にお湯を注いだところ、色は赤く、強い香りを放ったと。東インド会社の船舶に積まれた茶葉がインドであったかセイロンであったか知らない。
スリランカは1972年までセイロンと呼ばれていた。茶のプランテーションは時期的にはキャメロンとほぼ時代を一にしている。世界三大茶と言われる中に私たちが宿泊したヌワラ・エリヤ(最も高地の茶)が入っているらしい。花が咲き乱れる素敵な町だった。
子どもたちと MACKWOODという広大な茶園でキャメロンとは比べ物にならない。山の谷から斜面一面が茶畑である。山の一番高い所にはこれで財を成したであろう経営者の石造り邸宅がでんと構え、高校生が見学に訪れていた。一帯が英国植民者の作り上げた保養地でもある。
翌朝、既に書いたが高原の街の散歩の後、スリランカ第二の都市、ルワンの大学の街KANDYに向かう。日本の室町から江戸にかけて王国が栄え、世界遺産になっているスリ・ダラダ寺院(仏陀の犬歯がある)のある町として有名であることを見学後に知った。
ルワンの大学の広さは700ha、大学内でも標高が500~1000mの差がある。1942年、セイロン大学として創設されたスリランカで最も古い国立大学で、学生数1万人余りを数える。96年から日本のODAにより歯学部が創設されたとWikipediaにある。
ルワンは授業を受けるためにバスに乗る距離だと言った。校内で会ったルワンの先生は官舎なのかと聞けば、いや個人の家だという。つまり、大学の構内に民有地があるということ。ここでまた時間を費やし、時間が押せ押せになる。どうも時間の観念がないようだ。
短パンやミニスカートでは参拝出来ず、参拝料金支払いの前に、腰巻のような布を身に着け、靴を預け、はだしで参拝する。ここでの参拝料金も外国人は1000ルピー(1600円)、ローカルは無料である。仏の前では平等ではないのか。これでは仏陀が泣いているのでは。
写真撮影は禁止かと思ったが、自由に許されたのは良かった。どこの国も同じだろうが、参拝者の内、若者の宗教離れは進んでいるのではないか。タイほど敬虔さを感じなかった。内戦の際のタミール人による破壊の話は書いた。ほとんどがシンハラ人と観光客である。
やることは同じだ