山の斜面にのびる
28日(金)快晴。日本人がどんどん帰国し、街で出会うことも少なくなったが、テニスはまだ10人ほど集まる。昨日の袴田死刑囚の再審決定と釈放は久し振りに胸のすく思いがした。逮捕から48年、30歳の時だと。これでまた冤罪事件が解決の方向に向かう。
そもそも戦後のおかしな警察・検察制度が数々の冤罪事件を生み出したと、私は思っている。おかしさとは、検察が起訴に持ち込んだら99%が有罪になるという、民主主義国ではあり得ない異常さなのだ。ここにも戦後の民主化の過程で戦前への反省がないのだ。
憲法38条に「何人も自己に不利益な供述を強要されない」「強制、拷問、脅迫の禁止、不当に長い抑留された後の自白は証拠にはできない」「自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合、有罪とされ、刑罰を科せられない」と規定したのに、実際は有名無実の状況だった。
サニーレタスとハウス
警察庁、検察庁という役所ほど上から目線の役所はないだろう。江戸時代以来の自白偏重の捜査、それを暗に認めてきた裁判所。裁判官の任命権が事実上内閣や最高裁事務総局に独占されているおかしさもある。あの大阪地検特捜部の問題や村木さん事件でそれが白日の下に曝されたはずだった。
結局特捜部の問題に矮小化され、捜査の可視化を含め、本質的な改革が一向に進まない。今回もDNA鑑定という決定的な証拠がなければ、再審には至らなかったであろう。私は新潟県津川町で起きたひき逃げ冤罪事件の支援に関わったが、これも警察による証拠捏造だった事が明らかになり、無罪が確定した。
警察や検察がなぜそこまでやるか。くだらないメンツ論でしかない。世間は信じられないと思うから、警察の捜査を容認する。今回も検察は上告の方向だという。恥を知れと言いたい。48年も拘留された事実だけでも許しがたいのに、死刑判決を確定させた一審から最高裁までの検察や裁判官の責任追及の方が喫緊の課題だ。
83年前の茶工場
私はこの冤罪事件の故に死刑制度反対論者であり、死刑廃止を主張している。少なくとも今回のように捜査段階で自白に追い込まれ、裁判で無実を主張している被疑者や死刑確定者は死刑の執行をすべきではない。現に事件名は忘れたが、再審を請求しているのに執行された人が一人いた。遺族が再審を請求しており、今月末に結論が出る。どちらにしても、死刑を執行された命は戻らない。
オウム事件のように誰も疑わないような被疑者が今なお生き延び、冤罪を主張している被告をなぜ法務大臣は執行を命ずるのか。裁判官とて人の子で、絶対に誤りがないことなどあり得ない。戦後だけでも8人の人が再審請求の結果無罪が確定した事実を見よ。
司法制度改革が叫ばれて久しいが、日本の司法は教育同様、行政優位の中央集権下にある。司法の独立とは名ばかりで、今回の再審決定を下した裁判官の世間的な「出世はない」だろう。数年にわたって追跡調査すればわかることだ。日本の国はおかしいのだ。
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