スリランカのサル
5日(土)曇り時々雨。肌寒い。今日、明日で日本語教室は終わり。最初はOさん一人、終わりころYさんも来た。今日は当地の中国社会では彼岸当日だとのこと。それを知らず、偶然、おはぎを用意し、食べてもらった。質問をたくさんしてくれるので、むしろ助かる。
安倍内閣が最も危険だと思うのは何と言っても教育問題である。武器輸出3原則の撤廃や集団的自衛権の解釈改憲も重大問題であるに違いないが、将来世代の長きに及ぼす影響からすれば、怖いのは教育改悪を通して国家の言いなりになる国民を育てる政策である。
具体的に進行しているのは教科書検定や採択への介入による事実上の国定教科書の実現、閣議決定された教育長を首長の下に置き、文科省の指示、監督がストレートに通るようにする教育委員会の解体、まさに我々が戦前に体験したマインドコントロール化への道だ。
19世紀の茶園経営者
沖縄石垣島・竹富町の慶田盛安三教育長は「新年度の教科書は既に寄付金で購入して各学校に配布し、年間指導計画も作成した。今から教科書を変えれば、現場は混乱し、子どもたちに影響が出る。そんなこともわからない人が文科相だなんて呆れる」と怒っている。
なぜこんな事態になったのか。実は2010年、安倍氏を信奉する中山義隆氏が石垣市長に当選し、八重山の保守化が一気に進み、12年末の第二次安倍政権の誕生でその傾向は決定的になったという。慶田教育長は「政権が代わる度に法解釈が変わるのはおかしい」と。
地元紙に投稿した原稿がどうもボツにされたようなので。ここに転載させていただく。
今マレーシアに長期滞在中である。海外から見る日本はおかしなことが目立つ。教科書採択を巡って、沖縄竹富町に対する文科省の採択変更是正要求を竹富町が拒否したとのニュースに拍手喝采した。
私は在職中、教科書採択に関わり、政治的な圧力を肌で感じた経験があるだけに、その実態を他人より知る立場にあった。4千人足らずの町の教科書採択に国家が介入するなど、私の知る限り、社会主義国や韓国を除いてない。
しかも、文科相が変更を迫っている教科書は極めて政治的な団体によって発行され、戦時中の沖縄の住民集団自決や現在の基地問題に否定的であり、全国での採択にも政治的な圧力が付きまとっている。
世界の教科書の大勢は自由発行・自由採択であり、日本も明治初年、戦後10年ほどはそうだった。国家が教科書の内容や採択に介入を始めるときは、戦争の足音がする時であることは歴史が教えている。安倍内閣はそれに飽きたらず、維新の会とともに、教育委員会制度の中央集権化、管理統制強化をも目論んでいる。教科書への国家の介入を許すことは日本の恥を世界に曝すことだと、海外から告発したい。