13日(日)快晴。風もなく桜は満開。花見に出ない手はない。おにぎりを握って先ずは県立図書館へ。ここの桜はソメイヨシノは勿論、しだれ桜や大島桜、山桜まで。家族連れで一杯。孫崎享氏著「小説外務省尖閣問題の正体」を借りに寄ったのだが、まだだった。
帰国しても、テレビや新聞をじっくり観たり、読んだりする気力が起きない。テレビは以前にもまして、バラエテイー番組やワイドショーも相も変わらずスキャンダルや事件報道が中心になっている。新聞も数年前の紙面改編で生活報道が中心、投稿欄も似てきた。
安倍政権が作り出した威勢の良さや強さを背景に、世の中がどんどん右傾化していく流れが止まらない。10年先や100年先のことなど考えようともしない無責任さが蔓延している。テレビ、新聞などマスコミがその流れにブレーキをかけるどころか、煽っている。
家族連れでにぎわう
日本は間違いなくいつか来た道に引き返しつつある。歴史に学ぼうとしない国民だということである。それに待ったをかけることができるとすれば、それもまた国民でなければならない。さまざまな運動を根気強く、地道にやっている人たちと力を合わせるしかない。
安倍政権の悪質さは戦後営々と築いてきた民主主義的な流れを公然と否定するばかりか、国会での議論の積み重ねさえ無視し、憲法や法律の解釈も人事権を使って(NHK,法制局長官、原子力委員会等)政権寄りの人物を据えてまで、変えようとしていることである。
砂川判決の解釈は典型的で私は高校1年生で、政治的な高校生だったので伊達判決として記憶している。自衛隊が発足して5年しか経っていない時代で、集団的自衛権など話題になるはずもないし、自衛隊は憲法違反の存在だというのは当時の常識だったのである。
鳥屋の潟公園の桜
それを自民党の高村副総裁の提起によって、集団的自衛権は砂川判決によって認められたかのような話になっているのだ。当時の法制局長官秋山収氏でさえ「我田引水の詭弁だ」と批判している。だからこそ、歴代の内閣は集団的自衛権は憲法違反とされてきたのだ。
砂川事件の判決は高裁を飛び越して最高裁に跳躍上告され、伊達判決が否定された背後にマッカーサーの藤山外相への圧力や当時の最高裁長官が在日駐米大使と会談して判決の相談をするなど、ありえない動きの中で出された判決でそれを持ち出すこと自体が異常だ。
しかも、59年と言えば安倍晋三の祖父・岸信介が日米安保条約の改定交渉時期と重なる。こうしてみてくると、前に書いたように、安倍晋三という男は自分の祖父・岸信介がA級戦犯として裁かれた怨念を晴らそうとして、動きまわっているとしか私には思えない。
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