新発田城の桜1
21日(月)帰国して以来の初めての雨。NHKにはとかく批判は絶えないが、しかし、昨夜のスペシャル「原発廃炉への40年」はNHKならではの内容ではなかったか。逆に民放は原発について原因究明や廃炉への継続的な取材をやっているのだろうか。気になった。
韓国の客船転覆事故は悲惨で、船長や乗組員のお粗末さにも呆れるばかりだ。だからと言って、産経のニュースを見ていると、領土問題も絡めた[三流国家」「じたばた国家」などの罵倒に等しい批判にも眉をひそめてしまう。他国のことをとやかく言えるほど、日本はそんなに素晴らしい国なのか。
教科書採択や教育委員会制度改革の動きを追いながら「絶望の学校」という本が書きたくなった。国会に提出された地教行法の改正案について、話し合いも始まらない段階で自民党の責任者は「修正協議は難しい」等と発言。自公の多数で成立させる腹づもりなのだ。
新発田城の桜2
民主や維新の教委解体論も話にならず、どっちにしても改悪の流れは止めようもない情勢だ。競争の導入と管理強化の改悪案に教育の政治的中立への配慮は微塵も感じられない。戦後、文部省解体論は出なかったが公選制の教育委員会制度は歯止めになるはずだった。
公選制は教育委員を住民が直接選挙で選ぶ制度だった。その代表者たちが教師を採用し、不適格な教師がいればそれを解任できる権限、話し合いの内容は全て公開され、独自に予算案を作る権限も持っていた。自民党が1956年に早くもこれを廃止し、今の教育委員会制度にしたのは公選制が目の敵だったということ。
改革の方向として公選制に戻せと主張しているのは池上彰氏だ。私も同意見だが、誰も耳を貸そうとしない。教育方針や内容を中央の誰かが決め、それを下へ下へと流すやり方こそ教育でやってはならないことだ。先進各国は条件性整備に徹し、内容に介入しない原則を守っているのは、教育は政治的中立であるべきとの考えによるもの。
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画一的、上意下達方式こそ日本的だと言ってもいい。仮に国定教科書の是非を国民に問いかけたら、案外賛成と答える人が多いのではないか。「平等・公平だ」と。教育界が特にひどいのかと思ったら今読んでいる「絶望の裁判所」では司法界はもっとひどいのだという。
私は裁判官一般公務員よりはるかに独立性が強く、「法と良心にのみ」に従っていれば、身分も給料の減額もないのだと教えてきたのに、この本によると、それは嘘で最高裁長官と最高裁事務総局(総長)にすべての人事権が握られ、憲法や裁判所法を読んだだけでは分からないと。
著者の瀬木氏は自らの体験をまじえて、年休の取得制限や早期退職の強要、人事による統制とラットレース、相撲の番付にも似た、裁判官のヒエラルキーの衝撃的な実態を明かしている。良心を貫こうとすれば、辞めざるを得ないと。これが特に日本的なのだとも。
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