小学校の登校風景と教師
23日(水)快晴。腕の痛みが完治しないために、ストレスが溜まる。毎週水曜日卓球クラブの仲間に入れていただくことになり、今日、会費を納めに行った。昔の同僚だった元教師が二人もいた。水曜日はテニスの予定もなく、雨の日もできるのでいいかなと。
日本的な考え方で、学校現場でいいことはないかと考えてみると、日本的な学級担任制。何から何まで学級担任が責任を負っている。ドイツやタイにも学級担任はいたが、形式的な存在で出席をとり、生徒の状況把握や夏休み中の生徒の校外活動のコーデネートをやる程度だ。
責任は全て管理職が取る。日本では学級担任の責任は他国の教師には信じ難いほど重い。担任は欧米の学校のカウンセラーの仕事、管理職の仕事の一部も背負っている。それなのに、それより仕事のない学年主任や生徒指導主任に付く月5000円もの主任手当はない。
日本桜百選大河津分水
私自身の実感からすれば、学担ほど責任の重いことはなかったと思うし、その自覚もあった。だからこそ、生徒との絆は強かったし、卒業後も関係が切れないほど、人生に深く関わる事が出来たのだと思う。何十年経っても担任を呼んでのクラス会をやる国などない。
専門家でもないのに、カウンセラーの仕事をやらされたことのおかしさは迷惑をこうむったのは生徒だから追求し続けたいと思うが、自分が37年間、学級担任にこだわり続けて教師生活を全うしたことは誇りに思っているし、世界の教師にも自慢したいことの一つだ。
家庭訪問も日本的だ。シンガポール日本人学校に在職中、家庭訪問、昼食を生徒と一緒に食べること、全校で日本人墓地清掃が珍しいと言うので、現地テレビ局が私に密着取材したのだが、当たり前だと思っていた私の方がカルチャーショックを受ける状態だった。
人工的に残されたはさ木(稲を架けた)
目的を聞かれて、生徒や親を理解するためとは答えたものの、確信はなかった。廃止論に傾いた時期もあった。帰国した80年代の学校の荒れを経験して、むしろ必要性を強く感じることになった。荒れた子が私と向き合わず、親と向き合うことによって解決に導いた。
私は親の考えを理解することを主眼としたから、ずかずかと上がり込み、15分は話し込んだ。最近の話を聞くと、玄関先で家の確認と挨拶だけで辞するという形式的な家庭訪問になっているとの話を聞くが、それなら廃止した方がいい。管理職自体が及び腰のようだ。
そればかりか、管理職が学級担任の発言をマニュアル化したり、制限をかけたりするなど、教師の自主性を否定したり、お茶も貰うな、などと指導するするらしい。学級だよりや自主教材を事前検閲したりする管理職もいるという。それこそ日本的指導というべきだ。
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