メーデーデモ行進
2日(金)快晴。1か月ぶりのテニス、4か月ぶりに反原発の金曜デモに参加。デモの顔ぶれは多少変わったものの、人数は20人程度、チラシを配っても受け取ろうともしない人、むしろ高校生の方が関心を持って話を聞く。あの事故からまだ3年でしかない。もう風化しつつあるのだろうか?
今朝の新潟日報に教委改革の「地方教育行政法改正案」を巡って、自民党参院議員と民主党・幹事長代行の菊田真紀子氏のインタビュー記事が載っている。自民党が「政治的中立性を確保」と発言しているのに、民主党は「首長に権限一元化」をと主張している。
これが民主党の正体だったのかと、失望を通り越して、怒りさえ感じる。教育のなんたるかをまるで理解していない。どこの国に地方の首長に教育の基本方針の決定権を与える国があろうか。首長が変わるたびに教育方針が変わり、現場が振り回されることは明らかではないか。本当にそれでいいのか。
寂しい集会
生徒の声を続ける。「先生(私)のことは一生忘れないと思う。私はどちらかと言えば、みんなに流されるタイプだから。授業中でも、余り自分の意見を持っていなかった。(略)私はこの世の中、みんながみんな何かに流され過ぎだと思う。特に中高校生はみんな『流行』に流され過ぎだ。一人ひとりが違っていい。それを悪く言ったりするのを見るのが嫌だ」(女子)。
「先生の授業を受けて、自分の考えや周りの考えが変わった。本当に2年間楽しい授業だった。先生みたいな人が増えればもっと学校は変わる。自分の意識をしっかり持っている先生で、一つのことを追い求めるようなところに心を惹かれました。先生に出会えてよかった。(男子)
6時半でも明るい
「僕はいつも考えました。学校行事とは何なのか。生徒がみんなで楽しむものだと先生たちは言いました。だけど実際やってみると、楽しく感じなくもないけれど、本当に楽しいと思ったことはありません。中学と高校の運動会、どっちが楽しいと聞いたら、どこの人も高校と答えます。なぜなのか、わかりません。でも、先生たちに考えて欲しいです。先生たちに理想の行事は生徒にとって楽しいものか。先生たちの目指す行事や考える行事は生徒にとって楽しいものか、考えて欲しいです。(男子)
「今私は中学生ですが、学校の先生は生徒の悪い部分を見つけては怒鳴りつけます。私たちは子どもだけど、大人たちに縛り付ける権利はありません。もっと外国のように、一人一人の良い所を見つけてあげてほしい。日本は集団生活というものを強調しすぎていて、個性を大切にせず、人間に生まれてきた意味が分かりません。K先生の2年間の授業に参加して、絶対に日本を出て外国に行きたいと思うことができました。先生は私の本当の人生の扉を開けてくれたように思います」
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