KLからスリランカへ
9日(金)晴れ時々曇り。今朝は普段のコースを遠回りして5600歩、50分。テニスは大事をとってお休み。夜は金曜デモに参加した後、友人たち3人と飲む。教師以外は世間に知られていないであろう学校の実態を少しずつ公開する。守秘義務ももう時効だろう。
授業に関わる話をもう少し。戦後、教科書が墨塗りにされ、教科書が間に合わず、教師たちは手作り資料を持って授業に臨んだ。私の中学時代の50年代後半の教師たちはまだその雰囲気を持っており、熱血漢教師が沢山いた。私もその教師たちの影響を強く受けた。
私の中学時代に道徳が導入され、教科書検定が始まり、試案に過ぎなかった学習指導要領の拘束性が強調され、指導書なるマニュアル本が授業を画一化していく。私は教師になった67年の1年目だけ「指導書」(赤本とか虎の巻とも言った)を頼りに教壇に立った。
スリランカ入国
自分ながら、面白くもない授業だった。これではダメだと悟り、授業研究の必要を感じ、民間サークル(歴史教育者協議会=49年設立)に入り、夏休みには研究会参加のために全国を走り回った。自作プリントづくりも長期休業や平日でも校長に申し出て外に出た。
教特法という法律によって「所属長(校長)の許可を得て勤務場所を離れて研修できる」ことになっている。ところが今やこの条文を活用する教師もそれを認める校長もいなくなったという。つまり、授業をつまらなくしているのは、上からのマニュアル化なのだ。
庶民の足
「私は初めて先生と出会って、こんなに社会って楽しいものなんだと思いました。それまでただこれを覚えろ、ここは大切としか言われなくて、文字だけを覚えてきたのです。しかし、マサヒロ先生は違っていたんですよ。いつも先生の配られるプリントを読んで、初めて理解できた内容がいくつもありました。教え子のこと、外国のこと,先生の話されることが楽しかったです。特にサヨナラ号にひどく感動し、涙が出そうになりました。障害について考えようと思いました。もし先生がこの「やっちゃんの詩」を教えて下さらなかったら、自分が健康体である幸せを感じることができなかったと思うのです。社会についてもっと知りたいなと思うことが沢山出てきました。先生どうもありがとう。私を変えてくれてありがとう。いつか私も先生のような考えを持つ人間になりたいです。帰ったら、サヨナラ号を母に見せようと思います」(女子)
「(略)中学校に来て思ったことがある。それは社会の先生はなぜかいい先生ばかりだということ。社会を勉強すると人間性がよくなるのかなあと思った。私が先生の授業を受けて得た一番の利益は、私が社会を好きになったことだ。嫌いで苦手だった社会が好きになるなんて夢にも思っていなかった。先生は本当にすばらしい!」(女子)
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