12日(月)朝の通常散歩の後、11時近く、角田山登山へ。タケノコご飯のおにぎりを持って。湯の腰温泉コース。昔温泉宿があって登った後温泉に浸かった。廃業となり、このコースがすたれた。今日も誰にも出会わなかった。階段だらけのコースに変わっていた。
教師の研修実態について紹介する。世間や保護者には恐らく知られていないと思うが、先生方が今一番望んでいるのは「研修時間が欲しい」ではないか。私の在職中、教委や組合のアンケートでも常に第一位だった。子どもの前に立って恥ずかしくない授業がしたい、そのために研修時間が欲しい。なのに、今の競争を煽る学校雑務のために妨げられている。
教育公務員特例法(49年成立)という法律の第三章に「研修」とあって、第19条に「教育公務員は、その職務を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」20条にはその研修の機会が与えられるべき、校長の許可を得て勤務場所を離れることもできる」と定められているが、まったく有名無実化している。
130段の階段を登り
今や研修と言えば、文科省や教委の主催する研修しか認めず、自主的な研修には交通費や宿泊費はも認めず、年次有給休暇の提出を強要するようになった。研究費や書籍代の名目でお金が出るのは大学教員だけで我々小中高教員は勉強すればするほど出費がかさむ現実がある。
研究熱心な教師ほど自腹を切ることになり、教委の言いなりの研究にのみ旅費や参加費、日当まで支給するというおかしなことになっている。上から指定する研究会というのは、学習指導要領をいかに具体化するかの研究で教師の力量を高めるものにはなっていない。
欧米各国での教師の研修は長期休業中を基本に教師が学びたい研修内容と場所(大学)を提供するのが行政の役割だと考えられており、日本のように上から研修内容を指定するようなものではない。戦後、少なくとも60年代までは日本も欧米並みの研修が保障されていた。事実私は放課後も研究のために外出したし、民間サークルの研究会に交通費や参加費も支給されたし、年休など一度の提出したことはないし、かなり自由があった。
田植えの終わった新潟平野
激しいことを書く生徒もいる。「君が代を歌う必要はない。なぜ今更忠君愛国を復活させるのか。校長がステージの上に上がる時も、なぜ一礼するのか。明治天皇の写真はそこにはない。なぜ、日の丸をステージの上に飾るのか。君が代を歌う義務などない。だから僕は卒業式では歌わない。音楽に自由はないのか。日本の教育の根本的なことを見直すべき」(男子)
「私は五日制になり、社会の授業が減るというのはショックでした。先生も言ってましたよね。数学は職業によって使うかもしれないけど、私はは思う。必要な人は専門学校で学べばいい。それより、もっと学ばなければならないのは社会だと思う」(女子)
こうした率直な意見を書く子の作文については、私は時々次の時間にプリントしてみんなに配り議論させてきた。大人が考える以上に子どもたちは健全なのである。
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