14日(水)明日は年金者組合の登山に参加するので書き溜める。もう少しドイツの政治教育について、日本との比較を試みる。日本の教育基本法にも第8条に「良識ある公民たるに必要な政治的教養は教育上これを尊重しなければならない」新教基法もこれは残した。
第二項の「特定の政党を支持し、またはこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」これもそのまま改正教基法で残したことも当然である。私が言いたいのは、教育現場では第一項が無視どころか、干渉され、「尊重」には程遠い状況がある。
粟島が見えた
環境ジャーナリスト・妙高市在住の関口博之氏によれば、ドイツでは各州に政治教育機関があり、子どもや市民向けの講座や様々な取組が用意されている。ブルテンブベルク州のホームページで子どもの政治教育合意事項として3つの方針が掲げられていたという。
1、教育機関においては、生徒が独自の意見を形成できるように配慮して、教師が望ましいと思う意見を押し付けてはならない。
2、生徒は多様な観点から教えられるべきであり、常に議論の余地を残すことが重要。
3、生徒の個人的関心を尊重する。
これこそが政治教育のガイドラインともいえるものではないか。日本の学習指導要領は限りなく政府見解を押し付ける内容になりつつあり、しかも、教師に対して教える順番まで指定するなど、多様な観点もなければ、生徒の個人的な関心には全く配慮がない。
右足は新潟県、左は山形県
関口氏はドイツの学校では、「教科書にもナチスが政権を掌握したいきさつからユダヤ人虐殺に至るまで詳細な資料が取り上げられている」と。私の教え子のドイツ人のL子も「幼稚園から高校まで嫌になるほど教えられ、討論もした」と。ドイツ人にとっては加害の歴史だ。日本は加害の歴史を教えない。
私もベルリンの中高校の授業を参観したが、一時間中発言を続ける生徒の意欲に感動したものだ。IEAの国際比較調査では日本の学習意欲は世界最下位グループに属し、「受験のためにしかたなくやっている」のが現実だろう。マスコミは知識量だけの順位を取り上げる。
日本の生徒だって、本当は社会的関心はあるのであり、自分の意見を言いたがっていることは私の生徒の作文を読んだ方はお分かり頂けたと思う。日本の教師は戦後、60年代以降「教える自由」を奪われ続けており、創意工夫の意欲も奪われているのではないか。
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