佐潟公園
19日(月)快晴。気温19度。今日は一人でラムサール条約湿地・佐潟公園に車を止めて、下潟、上潟を一周した。途中でおにぎりを食べ、1時間40分、およそ8500歩歩いた。ここだけは環境省管轄の国定地だから、いつも整備されている。鳥のさえずりが喧しい。
学校からの告発はまだ終わっていなかった。日本の学校のおかしさはやはり海外の学校と比較してみなければ、分からない。私の教え子で大学在学中に休学してスウエーデンに留学し、今高校の教師になっているM君などは、帰国してしばらく憤慨しきりだった。
生徒や教師の在り方を含め、何もかもが違い過ぎ、カルチャーショックに近いものだったようだ。憤慨の中心は日本の教育が集団的な秩序ばかりを重視し、個性が尊重されていないこと。同じ尺度で同じ行動を求める。だから自分の意見を表明すれば、疎まれる。採用試験の面接からその現実に直面したようだ。
タバコ畑
政治的中立を口実に生徒の社会的関心を摘み取る教育が行われている。そのような状況では教師も個性を失い、指示待ち人間になっている。日本の危機的状況は社会全体に蔓延しており、親もそうした状況を受け入れ、我が子のこと以外は学校に要求しないのも変だ。
私が具体的事例をあげて日本の学校のおかしさを話すと、大方の人からは一応納得しながら「外国は外国、日本は日本」というもっともらしい反論が返ってくる。本当にそうだろうか。例えば、PTAの在り方。日本は自動的に全員加入。ドイツは任意加入。会費は個人負担と公費負担。
ドイツにはPTAはなく、保護者会で話し合いの内容はクラスの定員が適正か、カリキュラムの内容、教師の評価、学校の設備や安全点検などだという。日本のPTAは事実上学校の下請け機関と化し、仮に校内の暴力事件があっても、せいぜい会長に話がある程度だ。
菜の花畑
どっちが理にかなっているのか。あるいは教師の評価。日本は校長が秘密裏に評価して教委に提出。勿論本人には知らされない。ドイツは校長を入れた第三者機関により評価され、本人に知らされ,反論の機会も与えられる。これも日本は日本でいいのかと思う。
教科書はドイツでは基本的には貸与制。教師が書店で見つけた本を教材に指定することもできる。私が参観した時は教師が必要な部分をコピーして教室に持ち込んだ。ドイツの教師には教科書を使う、使わないの自由がある。教科書は家で読み、授業中はほぼ討論。
日本の教師には教科書の採択権も使わない自由もない。教科書の無償支給は結構なことだが、4年に一回しか改定しないのに無駄ではないか。しかも、内容が事実上国定教科書では代償が大きすぎる。日本と同じシステムをとっているのは社会主義国と韓国位のものだ。
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