漁港の賑わい1
22日(木)朝雨で歩けず、午後6000歩の散歩。昨日の大飯原発3,4号機運転差し止め判決から出てきた原告団の垂れ幕に「司法は生きていた」とあった。昨日、書いたように、従来、原発や自衛隊を巡る判決で「統治行為論」を理由に国民の請求は退けられてきた。
昨日の判決の要旨や関連ニュースをじっくり読み、予想以上の画期的な判決であったことを知った。だが、「絶望の裁判所」の著者・瀬木比呂志氏によれば、厚木基地騒音訴訟の裁判長も福井地裁の裁判長もこれで最高裁事務総局ににらまれ、今後の(世間的な)出世はないことになる。
一番カチンときたのは、本県の刈羽村長・品田宏夫の「規制委による科学の判断が司法の判断に影響を受ければ、世界からあきれられる」という談話だ。笑われるのは君の方だと言ってやりたい。彼は県内で最も再稼働に熱心で、自分や親族企業が原発利権まみれの人物で知られている。
漁港の賑わい2
お仲間の柏崎市議も「司法で可否を判断することが妥当なのか」などと危機感を露わにしている。彼らの意見を補完するように、大阪大名誉教授(原子力工学)が「原子力の素人が下した無見識で無謀な判決」だと。安全神話を振りまいた己の責任感がまるでない。
この推進派の主張に鉄槌を下したのが、昨日の判決だった。「原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範囲に奪われる事態を招く可能性があるのは原発以外に想定しにくい」これこそ従来なかった視点である。
裁判官も福島事故を真摯に見つめ、統治論ではなく法理論に基づいて判断をしたところに画期性がある。「具体的危険性が万が一でもあるかが判断の対象とされるべきで、福島原発事故後に、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しい」これが司法の流れになる事を期待したいが、どうだろう。
漁港の賑わい3
原発に内在する本質的な危険を指摘するとともに、「我が国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。大飯原発に1260ガル(関電は冷却システムが崩壊することを認めている)を超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ」と。
判決は福島事故で地震がどんな損傷をもたらした確定に至っていないと指摘した後、使用済み燃料の危険性まで踏み込んだ。「使用済み核燃料は燃料プールという水槽内に置かれている。本数は千本(大飯原発だけで)を超え、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない」と。「国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、深刻な事故は滅多に起きないだろうという見通しで対応が成り立っている」と断罪した。被告は電力の安定供給やコストを議論の当否にするのは法的に許されないと切り捨てたのである。拍手喝采!
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