国定教科書
24日(土)今日は上堰潟公園で北国街道のパネル展をやっていると言うので、見学方々潟を一周。この潟は900年前の寛治大地震(1089)により、佐潟と共に誕生した説があることを初めて知った。日本海側の大津波はないというのは俗説で,東北同様あり得るということだ。
安倍政権は限りなく「戦争のできる体制、国づくり」を目指していることは明らかだ。今度はODAで他国軍支援を検討するという。ただでさえ、援助の名を借り、腐敗政権の高官の懐に流れる疑惑や日本企業が先回りして工事を受注する疑惑があったのにである。ODAについては欧州諸国は、政府を監視するNGOがある。
その受注疑惑を軍事産業にも分け前をやろうというのか。例によって、国民を騙す言葉「災害救援の人材育成」や「シーレーンでの海上警備能力の向上」などをあげている。そういう言葉に易々とだまされるのは、もはや政権の腐敗度というより騙される民度の問題ではないか。
こんな道を歩く
戦争のできる国づくりには「教育統制」は欠かせず、狙うのは先ずは事実上の教科書国定化だろう。私が教師になりたての頃はまだ先輩たちから「教科書を教えるのではなく、教科書で教えるのだぞ」と言われたものだ。今は「教科書を」と文科省や教委が強制する。
新しく始まった朝ドラ「花子とアン」で花子が風呂敷包みに包んでいる教科書は1903年(明治36年)に国定化された教科書で「修身書」も見えた。時代設定はまだ大正デモクラシーの比較的自由のあった時代のはずだが、ドラマの学校では今後国定教科書が威力を発揮するだろう。
日本の教科書は学制で学校ができた1872年(明治5年)には、前号で書いたように、民間の発行した「往来物」を中心に「読み・書き・算盤」を中心に教科が分化していく時代で、教科書は自由発行・自由採択だった。ところが、1880年には早くも「使用禁止書物」が発表される。
900年前にできた潟
つまり、国家が教育の統制に乗り出し始めた。そして81年(明治14年)には教師が使う教科書の報告を求めるようになり、83年(明治19年)には認可制に、86年には検定制が導入される。1903年の国定化の間に何があったか。1894~95年の日清戦争である。
教科書の歴史は戦争と深く結びついているのだ。国家が教育に介入する時は間違いなく戦争の足音が近づいているとみるのが正しい。そのためには国民に同じ思想、同じ方向を向いてもらう必要があるからだ。教科書の次に手を付けるのが教員の管理・統制である。
安倍政権は道徳の教科化も打ち出した。教科にするということは評価をするということ。「愛国心」や「正義感」を5段階で評価できるのか。1をもらった生徒は「君は生まれた国を全く愛していないね」というに等しい。そんなことを言う権利が教師にあるのか。そんな教師がこの世にいるのか。
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