25日(日)薄曇り。最近、家内は読書にはまっている。私も久しぶりに県立図書館に行き、4冊ほど借り出してきた。読みたい本が山ほどあった。毎週金曜日のデモグループにはシンガーソングライターが沢山おり、毎週のように替え歌が披露される。先週はビリーバンバンの「白いブランコ」。
君もあきれているかしら/あの日の出来事/所長の命令 聞かずに避難/あの原発の職員/原子炉の暴走止めるよう/みんな協力して欲しいのに/大きな危険迫った時に/静かに逃げた 9割の東電職員 こんな事実を3年間も隠しても責任を問わず、黒字決算を出させる政府。
ハマヒルガオ
沖縄教科書問題に対し、沖縄の宮古・毎日新聞(毎日と関係あるのかな?)は産経新聞張りに沖縄県教委や竹富町を罵倒している。一方千葉大の名誉教授・新藤宗幸氏は「元々文科省に強制力はない。教師が加わらずに教科書を選ぶ国はない」今回の決着は歯止めにならず、今後も国家主義傾向は強まるだろうと警告。同感だ。
私は在職中、教科書や教師への国家の介入の怖さを教えるときは、教材として「川井訓導事件」を取り上げて、議論させた。1924年(大正13年、花子とアンの時代だ)長野県松本女子師範付属小学校で行われた川井訓導(教諭)が行った公開授業中に事件は起きた。
9月5日、その日県下から多くの教師が参観に集まり、その中に視学委員(今の県教委管理主事より強い権限)もいた。4時間目の4年生の授業は「修身」(道徳)で担任は若い28歳の川井清一郎訓導。授業は副教材として川井訓導が準備した森鴎外作・「護持院ケ原の仇討」だった。
話の内容は、仇討に協力する娘のりよの確たる決心と落ち着きのある態度、敵を探す九郎右衛門の武士道精神に発展。授業は緊張のためか10分早く終わった。その時、畑山学務課長(視学官)が児童の前に出て、児童の修身の教科書を手に「これを教えましたか」と、川井訓導に詰め寄ったのである。
初夏の日本海
これだけでも異常だが、児童に向かって「今は何の時間ですか」「お話の時間です」流石に他の視学官が止めに入り、「そのことはあちらで」と引き取った。放課後の講評会でのやり取り。「一体国定教科書を使わないでああいう教材をなぜ使ったのか」
川井「自分は自信が持てるだけの準備がついていないからです」最後に畑山課長は「国定教科書を無視するとは国法にも反したやり方である。教授者の責任を問うつもりである」授業の内容ではなく、教科書を使わないことだけを問題にした。知事までは学校を訪問し、始末書を書かせた。最終的に川井訓導は休職処分になった。
川井訓導は処分に納得せず依願退職した。当時の学年主任伝田訓導も処分に抗議して退職願いを出して退職した。これは川井訓導事件として、大正自由教育を弾圧した代表的な例となった。私の生徒は「先生に恥をかかせた」と批判。安倍政権は同じ時代を招くつもりなのか。
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