懐かしのスリランカ旅行
27日(火)快晴。佐賀県で留学生に卵を投げつけたとして3人の少年が逮捕されたとのニュース。過去にも、なに人かを聞いてエアガンで撃つなど悪質な行為が何度もあったという。今回はネパール人、今までにベトナム、スリランカなどの学生も被害に遭っていると。
何とも嘆かわしいし、恥ずかしいことである。在日韓国朝鮮人に対するヘイトスピーチ同様、有色人種に対する差別意識が背景にあるとみる。それに輪をかけて、安倍政権誕生以後の右傾化の動きがこれに拍車をかけていることは疑いない。明治以来の脱亜入欧の差別観である。
管理主事や指導主事に存在意義があるとすれば、教育環境を整備し、校長を励ます、或いは教師が働き易い環境を整え、研究や教材準備を支援することだと思うが、そうなっておらず、指導監督に名を借りて、締め付けるのが仕事だと思っているようにしか見えない。
路上で体を洗う青年
新卒3年目の山の学校での経験。指導主事の学校訪問があった。型通りの授業参観の後の講評会では授業者をあれこれ批評し、放課後、町の料理屋で宴会が持たれた。職員全員は勿論自腹で参加させられ、校長は主事を持ち上げ、主事に手土産を持たせて帰えすという。代官並みの待遇。
主事の学校訪問は今もあるが、流石に主事を囲んでの懇親会は姿を消した。そればかりか、私たちは管理主事の訪問時には労働条件の改善(無免許運転をやめさせてほしい等)を突きつけ、指導主事の訪問では逆に質問攻めにするなどしたため、訪問回数が減った。
学校現場は常に忙しいので、主事訪問となれば、それなりの準備をしなければならないから、迷惑なのである。新潟市は組合の市教委交渉で3年に一回の要求を出して認めさせた。ところが、最近は2年に一回に戻ったとか、校長が自分の功績のために研究会を誘致してくるので困るなどの声が聞こえる。
瀧らしい瀧があった
一時期、「新しい学力観」が打ち出され、知識より意欲・態度を重視すべきとの指導が行われた。主事の学校訪問や各種研究会で主事はこの言葉を枕詞のように使い、私などは学力の低下につながると反対したが、彼らは上から来るものに対して思考停止に陥るのだ。
反論したり、疑問を呈しようものなら、法体系から言えば通達にも劣る文科省・告示でしかない「学習指導要領」を金科玉条のように振りかざして、法的拘束力で抑え込んでしまう。最近の主事訪問の様子を聞いても、議論など行われず、主事のご高説を承るだけとか。
極めつけは、「要領」改定の数年間は、文科省の調査官などがその徹底を図るために全国を行脚し、「伝達講習会」なるものを開く。強制参加である。現場の教師が参考にしたくなるような教材を開発したり、指導法を展開して見せるのが主事本来の役割であろうに。役人化してしまった。
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