リムさん夫妻と郊外の公園で
30日(金)快晴。今1時40分で28度。室内がしのぎやすい。北朝鮮が拉致再調査に応じたとのことで、進展を期待したいところだが、何しろ相手は国家とは言い難いクニだから、何かあればすぐにご破算になる危険もある。ともかく、被害者の返還を求めたい。
教科書というのは身近なようで、案外、学校時代以外読んだことはないという人が圧倒的ではなかろうか。教師になったせい?でずっと身近に接してきた者としては歯がゆい気がする。私自身は教師になって何十年ぶりに手にした教科書にショックを受けたのである。
従って、私の社会科の教材研究は教科書研究から始まった。占領軍が進駐軍、基地が施設、侵略が進出、独占企業が大企業。例えば、これだけの変化をとらえても、新聞で大騒ぎになり、国際問題まで発展したのは「侵略問題」だけで、あとは問題にもならなかった。
いつも満員のレストラン
国民の大半が知らない間に、教科書の右傾化は60年代から指導要領の改定の度に強まり、社会科だけ単独で改定された年もあった。さらに世間の目に触れないのはその指導要領に基づいて教科書の執筆者(大学や小中校の教師に教科書会社から依頼が来る)への検閲。
憲法第21条に「検閲はこれをしてはならない」(検閲とは国家による表現の点検)とあるにも拘わらず、文科省の中に各教科の点検をやる調査官がいて、執筆者に対して修正や書き換え、削除などを指示する。拒否権はあるが、最終的に不合格になるリスクが大きい。
これは国家による検閲ではないかと争ったのが1965年6月提訴の家永教科書訴訟である。この時初めて世間は「教科書調査官」なる存在を知ることとなった。当時の執筆者であった東京教育大教授・家永三郎氏の太平洋戦争に関する記述が「暗すぎる」と修正を指示。62年、63年版が条件付き合格となった。
魚料理が一番高い
明るい戦争などあるのかと言いたくなるが、後日調べて分かったのはこの時の社会科調査官の顔ぶれである。戦前の東京大学で皇国史観の急先鋒だった平泉澄門下の歴史家が大半を占めていた。今現在は正確には知らないが、私の在職中は一貫してそうだった。
今の安倍内閣同様、調査官人事は文科相が握り、思いのままに教科書記述を操ってきたのである。だから、当時なら逆にこの検定で不合格にされたであろう育鵬社、自由社などいわゆる新しい教科書をつくる会系の教科書まで合格するような段階にまで来たのである。自由発行なら、当然あってよい。
今の教科書がどんな記述になっているか後日紹介したいが、指導要領の指示が細かく、執筆者はその指示に忠実であろうとするあまり、内容が無味乾燥になり、読み物としてもつまらないものとなってしまう。検定のないシンガポールの教科書と比較すれば一目瞭然である。
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