KLの土鍋専門店
25日(水)晴。教科書選定委員会の続き。続いて保守系の市会議員が「なぜ日書がいいのか。日書は全国的に採択の少ない会社ではないか、どうしてそういうところがいいのか」内容に関する質問ではない。まるで日書に決めたことを問題にしているかのような質問。
私は「小さい大きいの問題ではない。前々回も採択していたし、西蒲原郡でも使用している。また、現場の教師の投票によって決めている東京都では圧倒的に日書が採択になっている。私たちの部会ではむしろ特定の大手の会社に採択が集中することの弊害も議論した」と。
まだ私への質問が続く気配だったが、そこで新潟女性史クラブ代表の女性委員が挙手。「私にも発言させてほしい。私も今回、教科書を子ども、女性、私のような普通の市民の視点で拝見しましたが、報告にあった日書がいいと思いました」と発言され、救われた。
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質問は以上で終わったが、委員長は「ご意見は」と言ったので、私は引き続き挙手し、「選定委員会の在り方」について意見を述べ始めた所、「それは今日の議題とは関係ないのでは」と制止しようとした。私は「意見を求められたのでは」委員長「・・・」私は続けた。
「この会は今日で任務を終わるわけであり、先日公開された文部省通知によっても、この会の委員及び議事録は公開されるべきであり、今後は父母代表も加えれることが望ましいと書かれているわけですから、改善の努力をお願いしたい」答弁はなかった。
審議をすべて終了し、委員長から教育長に答申書が手渡されて選定委員会は閉会した。私がここまで教科書選定にこだわったのには、実はその前段があった。95年に社会科部長を引き受ける気になったのはまさにこのつくる会の圧力と闘うためであったのだから。
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私が副部長であった93年2月18日、私は先輩のF先生と同僚のK先生の3人で、それまでマル秘とされていた教科書採択委員名、議事録、採択理由の3点について、市教委に対し情報公開を請求した。予想通り、3月4日市教委より全面非公開の通知が届いた。
理由は「採択の公正確保」「特定個人の情報だから」。到底納得できるものではなく、市に対しては正式に市の『情報公開条例』に基づいて、再度の公開請求、同時に、県に対しても「新潟県公文書公開要項」に基づいて92年度の採択に関わる一切の公文書の公開を請求した。
3月31日、市教委より「公開非公開決定機関延長通知書」が届いた。理由は「現在内部で検討継続中のため」今思えば、市は当然県と連絡を取りあっただろうし、前述の90年に出ていた「文部省通知」を無視する形になるわけだから、慌てたに違いないのである。 つづく
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