角田山頂 6日(日)快晴。家内が10日ほど留守にすることになったので、私が毎日料理番である。洗濯や食事の後始末は娘がやってくれるので、何も苦にならないどころか楽しんでいる。最近脂ののりがいい鯵の刺身や鰯のヌタ、それに最近は中華スープづくりに凝っている。
中華料理のネタ本をみながら、豚肉、ホウレンソウ、卵、春雨のスープ。エビと胡瓜スープ。干しエビと白菜、ハム入りスープ。白菜と牛乳スープなど。味のベースはブイヨン、塩、こしょう、生姜だが、実に多彩で、特に夏は味噌汁より日持ちがするのがよい。胡瓜とトマトを加熱するのは中国料理に学んだ。
昼間は自由なので、今日は角田山に登ってきた。頂上が家族連れで一杯なのにびっくり。登山名簿を見たら、最高が80歳、2番目が私だった。頂上で孫崎氏の本を読みながら、今日のブログの内容を考えた。安倍政権をすぐにでも倒さなければ日本はどんどん壊れていく。
山頂の花
孫崎氏がみなさんミズーリ号上の降伏文書全文読みましたか、恐らく読んだ人は少ないと思います、と言われて初めて読む羽目になった。終戦の詔勅もそうだが私も授業に必要と思われる部分の抜粋しか読んだことがなかったのだ。社会科教師として実に恥ずかしいことだった。
「天皇及び日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下の置かれるものとする」は知っていたし、教えた。その文書に署名したのは9:04分で外務大臣・重光葵が「天皇陛下及び日本政府の命により、かつその名において、と記した後署名。又海津美治郎陸軍参謀総長は大本営の名において。
連合国側の署名はマッカーサーをはじめ、米、中、英、ソ、豪、加、仏、蘭、ニュージーランド代表の9か国10名が署名した。全文を改めて読んでも、どこにも条件などなく、「全て最高司令官の指示に従う」としかなかった。日本は中国に対して降伏したのだという事実をどれほどの人が知っていようか。
山頂の花
戦後の首相として「国葬までやってその功績を称えた」(学校は反日休みになった。私は抗議して出勤したのを今でも覚えている)孫崎氏は「吉田茂の政策が素晴らしかったとか問題があったという議論はあまり意味がありません」という。要求に全て従っただけだから。
日本人は何も知らされていないけれど。(だから反省が足りないのだ)降伏とは何か。「日本を米軍の軍事管理のもとにおき、公用語を英語とする」「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」「通過を米軍の軍票とする」この内容は降伏翌日の三日に布告されるはずだった。復帰前の沖縄で実施されていた内容だ。
この危機を決死の覚悟でマッカーサーを横浜で待ち伏せして説き伏せ、予定されていた布告を撤回させたのが重光葵であり、岡崎勝男だったという。重光はこの時の心境を歌に詠んでいた。「折衝の もし成らざれば死するとも われ帰らじと誓いて出でぬ」重光はこの後、外相を追われ、吉田茂が外相になる。
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