雄国沼ブナ林を行く
8日(火)雨のち晴れ。今日は月一回の年金組合主催の登山。福島県雄国沼(標高1000m、カルデラ湖)。参加者17名が3台の車に分乗。10時登山口の駐車場着で登山開始。3・3㎞を2時間かけて沼の休憩小屋着。車座になって昼食。その後沼の周辺を1時間で回る。
この沼はニッコウキスゲが「雄国沼湿原植物大群落」として国の天然記念物に指定されている。1週間前が見ごろだったと言うが、今なお一面黄色い絨毯を敷き詰めたよう。その他ギンリョウソウ、サフラン・・花に詳しい人が次々と名前を言うのだが、さっぱり覚えられない。
下りにも1時間25分を要し、温泉どころではなかった。行きの車中は雨だったのに、到着する頃にはからりと晴れ上がり、澄み切った空気の中を広大なブナ林、幅広い登山道をゆっくりと歩む。気心の知れた仲間たちとこんな素晴らしい時間を過ごせる幸せを感じる。
雄国沼
私はマッカーサー回想記さえ読んでいないが、その中に「私は日本国民に対して、事実上無限の権力を持っていた。歴史上いかなる植民地総督も征服者も、私が日本国民に対して持ったほどの権力を持ったことはなかった」とある。それはトルーマン米大統領が与えた権限による。
吉田は日本国民に対して非常に偉そうな態度をとり、米国に対しても互角にやりあっているようなポーズをとった。孫崎氏は「問題は51年の講和条約以降も首相の座に居座り続けたこと。結果、占領中の対米追随路線が継続され美化された。これが最大の悲劇だった」と。
今までこれほど辛辣に吉田茂を批判した人がいただろうか。氏は更に「吉田茂が率いた旧自由党系の流れ、池田勇人、佐藤栄作などの官僚出身の政治家(いわゆる吉田学校)を中心とした勢力」この保守本流こそは戦後の日本政治そのもの。その根本は「従米」だと。
ニッコウキスゲを行くハイカー
安倍晋三が対米従属路線をとりながら、「押し付け憲法論」に立っているのは矛盾に見えるが、それは口実であって、実は旧憲法回帰が本音ではないのか。押し付けに全く抵抗する気もなかった吉田茂等対米従属派は民主的な憲法をつくる意思も能力もなかったのだ。
自分が全く無知だったと知ったのは、マッカーサーが日本の再軍備に最後の最後まで反対だったという事実である。世間に通用しているように、吉田茂がマッカーサーの再軍備の要求に抵抗し、値切ったという見方。私もこれを生徒に教えたかもしれないのである。
事実はマッカーサーとトルーマンや国防総省との対立があったこと。朝鮮半島や中国共産党の動きを重視し、米国本土は日本への再軍備要求で固まること。50年の朝鮮戦争がそれを決定的なものとし、51年4月マッカーサー解任で決着。吉田はそれに従っただけなのだという事実である。
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