集会前の前座落語
14日(月)曇。今朝は4時5分前に目覚めて、ドイツを応援。見ごたえのある試合だった。ドイツ優勝で応援のし甲斐があった。その前に気にかけていた滋賀県知事選挙で自・公・維新推薦候補の落選を確認できてよかった。卒原発、脱原発候補の票で6万票の差だった。今後の地方選に期待を持たせる。
この結果に読売は「原発政策は政府が大局的観点から判断すべきもの、知事の権限は及ばない。燃料費は高騰し続けている。原発の再稼働を急がなければならない」と書き、選挙結果の影響に予防線を張っている。産経は原発の影響は10%程度だと小さく見せようとしている。この2社は政府広報紙だ。NHKニュースもお仲間。
昨日の午後は瓢湖で知られる水原町で阿賀野9条の会主催の満濃開拓団の経験者の講演会の案内をもらい参加。講師は昔の組合の先輩で77歳になられるS先生だった。200席だというホールが満席。安倍政権の暴走で戦争への危機感が広がっていることを実感できた。
開拓民の歴史
演題は「満蒙開拓団・その実態と我が家の足跡」大変整理された、しかも感動的なお話だった。旧満州(現在の中国東北部=日本の3倍)には鉄や石炭、大豆など日本が必要とするものが全てあったし、国内の人口増による土地不足、2,3男対策として目をつけた。
日本の侵略は日清、日露戦に始まる。日露戦後、すでに長春―旅順間の鉄道(満鉄)を守るとの名目で鉄道守備隊が駐屯していたが、本格的な侵略は28年に関東軍が引き起こした張作霖爆殺事件だった。挑発に乗らなかった中国に仕掛けたのが31年の満州事変だ。これも柳条湖の鉄道爆破だった。一方的に戦端を開いた。
32年には全土を占領、3月1日、ラストエンペラーを復帰させて「満州国」を設立。スローガンは五族協和(日、漢、蒙、朝、露の5大民族の日本が盟主になると)で王道楽土を建設するのだと。この傀儡政権・満州国の総務庁次長を務めたのが安倍晋三首相の祖父・岸信介である。東条内閣で商工大臣。戦後はA級戦犯として裁かれた。
2時間ほどしか咲かない朝顔
32年10月に早くも第一次試験移民「武装移民」が送られ、36年には100万戸、500万人送出計画、名前も開拓団となる。実際には10年間に35万人。S先生一家は40年12月、家族5人で渡満。S先生は5歳。満州で生まれた二男、三女、四女は全て現地で2歳未満で死去したと。
45年8月9日、S家の逃避行(父はシベリアに抑留)が始まる。逃げる先は軍隊がいるはずの首都新京の南へ。軍は既に逃走していないため、再び何時間もかけて元の地へ戻ったという。見捨てられたと知った団長は集団自決を決定したが、団員の中にいた人望のある老人の強い反対で自決は中止となったために生き延びることができた。
逃避行中の食料はジャガイモを煮炊きするが、銃声が聞こえて慌ててそのまま生煮えの芋を口にしながら、水で飢えを凌いだと。開拓民を守るはずの軍隊が鉄道の線路、橋を破壊しながら軍人の家族を連れて先に逃走したのだった。軍隊というものの実態がここにある。幸いにも父はシベリアから脱走して家族と合流できた。S先生はこの経験から、戦後の生き方を決定づけられたと。
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